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また私は見た。そして、一人の御使いが天の中空を飛びながら、大声でこう言うのを聞いた。「わざわいだ、わざわいだ、わざわいだ。なおラッパを吹こうとしているほかの三人の御使いたちのラッパの声のゆえに、地に住む者たちには。」黙示録 8:13

最後の三つのラッパは、七つのラッパの中にあって独自の象徴である。それは、最後の三つの教会が最初の四つとは区別されているのと同様であり、また最後の三つの封印が七つの封印の中で特別に区別されているのと同様である。この預言的真理は、長年にわたってしばしば取り上げられてきた。第一の災いと第三の災いをアルファとオメガの象徴として考察することによってもたらされる光に加えて、私たちはまた、三つの災いを預言の三重の適用として考慮しなければならない。

預言の三重の適用は、第一および第二の禍いのすべての預言的特質が、第三の禍いにも存在することを明らかにしている。第一の禍いはアラビアのイスラムであり、第二の禍いはトルコのイスラムであった。第一の禍いは人々を「苦しめる」ためのものであり、第二の禍いは人々の三分の一を「殺す」ためのものであった。

第一の禍いの苦しみ

また、彼らには、人々を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることが許された。その苦しみは、さそりが人を刺すときの苦しみのようであった。……彼らはまた、さそりのような尾を持ち、その尾には針があった。そして彼らの力は、五か月の間、人々を害することにあった。黙示録 9:5, 10.

第二の災いの死

そして、四人の御使いは解き放たれた。彼らは、一時と、一日と、一か月と、一年とのために備えられていて、人類の三分の一を殺すためであった。……この三つによって、すなわち彼らの口から出る火と煙と硫黄とによって、人類の三分の一は殺された。黙示録 9:15, 18.

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しかし、これらの災害によって殺されなかった残りの人々は、自分たちの手のわざを悔い改めず、そのために悪霊ども、また金、銀、青銅、石、木で造られた偶像――見ることも、聞くことも、歩くこともできないもの――を拝むことをやめなかった。また彼らは、自分たちの殺人についても、魔術についても、不品行についても、盗みについても、悔い改めなかった。黙示録 9:20, 21.

七つのラッパは七つの最後の災いを予表しており、第20節ではラッパは災いと呼ばれている。合衆国は、竜・獣・偽預言者から成る三重の連合の三分の一であり、日曜法の時に第六の王国として殺される。その死は偽りの礼拝のゆえにもたらされたのであり、それは「彼らの手のわざ」、「悪霊どもと、金・銀・青銅・石・木の偶像」への「礼拝」、さらに「殺人」、「魔術」、「淫行」および「盗み」によって予表されている。

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災いと御使いたち

第一の災いと第二の災いは、ミラー派の歴史における第一の天使および第二の天使に対応しており、その歴史は十四万四千人の歴史の中で一字一句に至るまで繰り返される。十四万四千人の歴史は第三の天使の歴史であり、第三の災いに対応している。ちょうどミラー派の歴史の道標が十四万四千人の歴史の中で繰り返されるように、第一および第二の災いの道標もまた、第三の天使の歴史の中で繰り返されるのである。

「第一と第二の使命は1843年と1844年に与えられ、私たちは今、第三の使命の宣布のもとにある。しかし、この三つの使命は、なおすべて宣布されなければならない。真理を求めている人々に、これらが繰り返し語られることは、以前にもまして今なお不可欠である。私たちは、筆と声とをもってこの宣布を響かせ、その順序と、私たちを第三天使の使命へと導く預言の適用とを示さなければならない。第一と第二なしに第三はあり得ない。これらの使命を、出版物によって、また講演によって、預言的歴史の流れの中に、すでにあった事柄と、やがて起こる事柄とを示しつつ、私たちは世界に伝えなければならない。」『セレクテッド・メッセージズ』第2巻、104頁。

預言を学ぶ者としての私たちの務めは、第一天使と第二天使の使命を第三天使の使命の中へ結合することである。最初の二つの使命がなければ、第三の使命は存在しえない。なぜなら、「第一と第二なくして第三はありえない」からである。これは「順序」という観点において真実である。というのは、もし第一と第二が存在しないなら、第三は実際には第一となるからである。またこれは「内容」という観点においても真実である。なぜなら、第一と第二の預言的特徴が、第三の特徴を規定するからである。数学的にも、第一と第二なくして第三は存在せず、預言的にも、第一と第二の道標が除かれるなら、第三天使のうちに道標は存在しない。

「神は、黙示録14章の諸使命に預言の系列の中でその位置をお与えになったのであり、それらの働きは、この地上の歴史の終結に至るまでやむことがあってはならない。第一天使と第二天使の使命は、なおこの時代のための真理であり、後に続くこの使命と並行して進められるべきである。第三天使は大いなる声をもってその警告を宣言する。『これらの事の後、』とヨハネは言った。『私は、もうひとりの御使いが大いなる権威を帯びて天から下って来るのを見た。そして地はその栄光によって明るくされた。』この照明のうちに、三つすべての使命の光が結合されている。」The 1888 Materials, 803, 804.

私たちの務めは、ミラー派の運動において「預言的歴史の流れの中で、すでにあった事柄」を示し、また十四万四千人の運動において「やがてあるであろう事柄」を示すことである。

「主は今や、その不義のゆえに世を罰しようとしておられる。主はまた、彼らに与えられた光と真理を拒んだゆえに、諸宗教団体を罰しようとしておられる。第一、第二、第三天使の使命を結合した大いなる使命が、世に伝えられなければならない。これこそ、われわれの働きの主題である。」『セブンスデー・アドベンチスト聖書注解』第7巻、950頁。

第一天使と第二天使の使命の結合こそ、黙示録十八章の天使が降るときに地を照らすものである。彼女は次のように述べた。「『これらの事の後に』とヨハネは言う、『わたしは、天から下って来る、もうひとりの天使を見た。彼は大いなる力を持ち、その栄光をもって地は明るくされた。』この照明においては、三つの使命すべての光が結合されている。」「地」が「明るくされた」ことに結びつくこの「照明」は、「三つの使命すべての光が結合される」ときに成し遂げられる。ミラー派の歴史を十四万四千人の歴史と平行させることによって、三つの使命を、一行の上にまた一行として結合する働きは、三つの災いについてもまた成し遂げられるべきである。

第二天使によって宣言されたバビロンの倒壊は、第一天使の使命から切り離して考えることはできない。第一天使の使命は、1843年におけるキリストの再臨を特定し、そしてその使命が不首尾に終わったとき、その使命のもたらした結果がプロテスタント諸教会の倒壊を生じさせた。その結果が第二天使であり、原因は第一天使の不首尾であった。もし第一天使がなかったなら、第二天使によって宣言されたようなバビロンの倒壊もなかったであろう。その原因と結果とを結び合わせた要素は「時」であった。その「時」(1843年)は現実のものとならず、その不首尾が「結果」を生み出した。「原因」となったのは、ミラーが1843年ごろに終わると誤って結論した三つの預言を、そのように特定した誤りであった。1335日、2300日、そして2520年のその三つの預言について、ミラーは、1843年にキリストが雲の中に来られることをもって終結すると信じていた。ミラーが誤って理解していた時の預言が成就しなかったとき、それはプロテスタントたちが第一天使の使命を拒む理由を与え、そして第二天使が到来した。第一天使が「原因」であり、第二天使は「結果」であった。

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第一の災いと第二の災いに関する時の預言の成就は、第一天使の使命に力を与え、また黙示録十章の天使を、その栄光をもって全地を照らすために下らせた。第一天使について、ホワイト姉妹は、自らが「彼の使命は、その栄光をもって地を照らし、来たるべき神の怒りについて人に警告することであると告げられた」と記している。これは、黙示録十八章の第三の天使と全く同一の使命である。

「第三天使の使命の宣布においてこれと結合する天使は、その栄光をもって全地を照らすのである。ここには、世界的規模に及ぶ、かつてない力を伴う働きが予告されている。1840年から1844年にかけての再臨運動は、神の力の栄光ある顕現であった。第一天使の使命は世界のあらゆる伝道地にまで携えられ、またある国々においては、十六世紀の宗教改革以来、いかなる地においても見られたことのないほどの大いなる宗教的関心が呼び起こされた。しかし、これらのことは、第三天使の最後の警告のもとに起こる力強い運動によって、さらに凌駕されるのである。

その働きは、ペンテコステの日のそれに類するものであろう。福音の開始における聖霊の注ぎによって「先の雨」が与えられ、尊い種が芽生えるようにされたように、その終わりには、収穫を成熟させるために「後の雨」が与えられるのである。「われらは知らん、主を知ることを切に求めて知るに至らん。その現れ出づることは暁のごとく備えられ、主は雨のごとく、地を潤す後の雨、また先の雨のごとく、われらに臨まれる。」ホセア 6:3。「シオンの子らよ、それゆえ喜べ。あなたがたの神、主にあって楽しめ。主はあなたがたに先の雨をほどよく与え、また先の雨と後の雨とを、あなたがたのために降らせてくださるからである。」ヨエル 2:23。「神は言われる、終わりの日に、わたしの霊をすべての肉なる者に注ぐであろう。」「そして、主の御名を呼び求める者は皆、救われるであろう。」使徒行伝 2:17, 21。

「福音の大いなる働きは、その開始を特徴づけた神の力の顕現よりも少ない顕現をもって終わるのではない。福音の開始において前の雨の注ぎによって成就した預言は、その終わりにおいて後の雨によって再び成就するのである。ここに、使徒ペテロが次のように語ったときに待ち望んでいた『刷新の時』がある。『だから、悔い改めて立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られ、主のみ前から刷新の時が来て、主はイエスを遣わしてくださる。』使徒行伝 3:19, 20。」『各時代の大争闘』611頁。

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ヤコブはその子らを呼んで言った。「集まれ。あなたがたの終わりの日に起こることを、わたしはあなたがたに告げよう。集まって聞け、ヤコブの子らよ。あなたがたの父イスラエルに聞き従え。……ユダよ、あなたは兄弟たちにほめたたえられる者。あなたの手は敵の首にかかり、あなたの父の子らはあなたの前にひれ伏す。ユダは若い獅子。わが子よ、あなたは獲物から上って来た。彼は身をかがめ、獅子のように、また雄獅子のように伏す。だれがこれを奮い立たせることができようか。王笏はユダを離れず、立法者の杖はその足の間を離れない、シロが来るときまで。もろもろの民の従うのは彼である。そのろばの子をぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を最上のぶどうの木につなぐ。彼はその衣をぶどう酒で洗い、その着物をぶどうの血で洗う。彼の目はぶどう酒によって赤く、その歯は乳によって白い。」創世記 49:1, 2, 8–12.

キリストはユダ族の獅子であり、御自分の衣を血で洗われた方であり、また、「ろばの子」に預言的に結び付けられている「えり抜きのぶどうの木」である。三つの禍いの外的なメッセージは、三天使の内的なメッセージに結び付けられている。第一天使と第二天使は第三天使と並行して進み、第一の禍いと第二の禍いもまた第三の禍いと並行して進まなければならない。

鍵

ニネベの戦いは、まもなく到来する日曜法、すなわち第三の災いが突如として到来する黙示録十一章の地震において、ローマ・カトリックの致命的な傷が癒やされるとき、イスラムの暗闇をこの世界にもたらす「鍵」である。それはその地震の「時」に到来する。

その時、大きな地震が起こり、都の十分の一が倒れた。そして、その地震で七千人が殺され、残った者たちは恐れおののいて、天の神に栄光を帰した。第二のわざわいは過ぎ去った。見よ、第三のわざわいがすぐに来る。黙示録 11:13, 14

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「宗教的自由の国であるアメリカが、良心を強制し、人々に偽りの安息日を尊ばせることにおいて教皇権と結合するとき、全地球上のあらゆる国の民も、その模範に従うよう導かれるであろう。」『証の書』第6巻、18頁。

合衆国における獣の像の試練の時は、『黙示録』第七章の十四万四千人を分け、かつ封印する。そして、世界に対する獣の像の試練の時は、『黙示録』第七章の大いなる群衆を封印する。

「諸外国はアメリカ合衆国の模範に従うであろう。彼女が先導するとはいえ、同じ危機が、世界のあらゆる地域にいるわれわれの民に臨むであろう。」『証の書』第6巻、395頁。

ニネベの戦いによって表される鍵は、世界にとっては像の試験時の始まりを示すと同時に、アメリカ合衆国にとっては像の試験時の終わりを示している。ニネベの戦いによって表される一つの鍵は、底知れぬ穴を開き、それによって世界において、いなごとして表象されるイスラムの洪水をもたらす。真夜中の叫びの終わりにおけるその鍵は、真夜中の叫びの始まりに、アメリカ合衆国において、まさに同じ穴を開く一つの鍵によって予型されている。

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そこで、「人類の三分の一を殺すために備えられていた時と日と月と年」が始まる。ここでいう「時」とは、大いなる地震の時、すなわち日曜日法である。「日」とは、ラオデキヤの状態にあるセブンスデー・アドベンチスト教会が主の口から吐き出されるときの、主の報復の日である。

彼らは計略を欠いた国民であり、そのうちには悟りがない。ああ、彼らに知恵があり、これを悟り、自らの終わりを思い見るならよかったのに。彼らの岩が彼らを売り渡し、主が彼らを閉じ込められたのでなければ、どうして一人が千人を追い、二人が一万人を敗走させることができようか。まことに、彼らの岩はわれらの岩のようではなく、敵自身でさえそのことの証人である。彼らのぶどうの木はソドムのぶどうの木であり、ゴモラの野から出たものである。そのぶどうは苦よもぎのぶどう、その房は苦い。彼らのぶどう酒は竜の毒、まむしの残酷な毒である。これはわたしのもとに蓄えられ、わたしの宝の中に封じ込められているのではないか。復讐と報復とはわたしのもの。定めの時に彼らの足は滑る。彼らの災いの日は近く、彼らに臨むことは速やかに来るからである。主はその民をさばき、そのしもべたちをあわれまれる。彼らの力が尽き果て、閉じ込められた者も残された者もいないのをご覧になるとき、そうされるのである。そして主は言われる、「彼らの神々はどこにいるのか。彼らが頼みとした岩はどこにいるのか。」申命記 32:28–37。

地震の「時」は、「彼らの災難の日」である。それは、終わりの日に増し加えられる知識を理解していないアドベンチズムの中にいる者たちに対する裁きである。彼らは自分たちの家を建てるために偽りの岩を選んだのであり、実際には、彼らの岩は砂なのである。

「警告はすでに与えられている。1842年、1843年、1844年にその使命が到来して以来、私たちが築き続けてきた信仰の土台を揺るがすようないかなるものも、入り込むことを許してはならない。私はこの使命のうちにあり、それ以来ずっと、神が私たちに与えてくださった光に忠実に、世に向かって立ってきた。私たちは、日ごとに切なる祈りをもって主を求め、光を求めつつ自らの足を据えたその土台から、足を離そうとはしない。あなたがたは、私が神から与えられたその光を手放すことができるとでも思うのか。それは万代の岩のようであるべきである。それは与えられて以来、ずっと私を導いてきた。」Review and Herald, 1903年4月14日。

「月」は第一の月を表している。

それゆえ、シオンの子らよ、喜べ。あなたがたの神、主にあって楽しめ。主はあなたがたに初めの雨を程よく与え、またあなたがたのために雨を降らせられる。すなわち、初めの雨と後の雨とを、第一の月に。打ち場は麦で満ち、酒ぶねと油ぶねとは新しいぶどう酒と油とであふれる。わたしは、あなたがたのうちに送ったわたしの大軍、いなご、かみ食らう虫、若いいなご、食い荒らす虫が食い尽くした年々を、あなたがたに償う。あなたがたは豊かに食べて満ち足り、あなたがたに不思議なわざを行われたあなたがたの神、主の御名をほめたたえる。わたしの民はとこしえに恥を見ることがない。こうして、わたしがイスラエルのただ中におり、わたしがあなたがたの神、主であって、ほかにはいないことを、あなたがたは知る。わたしの民はとこしえに恥を見ることがない。ヨエル 2:23–27。

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ユーフラテス川

ユーフラテス川は象徴的にイスラムと結び付けられており、ユーフラテスとは「実り豊かな」、あるいは「ほとばしり出る」を意味する。第二の災いにおいて、ユーフラテスに繋がれている四つの風が解き放たれる。

第六の御使いがラッパを吹いた。すると私は、神の御前にある金の祭壇の四つの角から出る一つの声を聞いた。その声は、ラッパを持っていた第六の御使いに言った、「大いなる川ユーフラテスに縛られている四人の御使いを解き放て。」すると、その四人の御使いは解き放たれた。彼らは、時と日と月と年のために備えられていて、人類の三分の一を殺すことになっていた。黙示録 9:13–15。

ユーフラテス川は約束の地の東の境を表しており、イスラムは預言における「東の子ら」である。彼らの預言的特徴は、ハガルがサラによって抑えられたことに始まる、抑制され、そして解き放たれることである。

神は言われた。「いや、あなたの妻サラが、まことにあなたに男の子を産むであろう。あなたはその名をイサクと呼ばなければならない。わたしは彼と、また彼の後の子孫と、永遠の契約として、わたしの契約を立てる。イシュマエルについても、あなたの願いを聞き入れた。見よ、わたしは彼を祝福し、彼を多くの子を産む者とし、彼を大いに増し加える。彼は十二人の君侯を生み、わたしは彼を大いなる国民とする。」創世記 17:19, 20

イシュマエルは実を結ぶ者とされ、またユーフラテスは実り豊かであることを意味する。第一の禍いの苦しみの百五十年の預言の終結において、イスラム教が人類の三分の一を殺すために解き放たれたとき、一時、一日、一月、一年の預言が始まった。日曜法において、聖書預言の第六の王国は殺され、しかもそれは現代のローマの三分の一である。イスラム教は、第一天使の使命の力ある宣布の時である1840年8月11日に抑制されていたが、第三天使の使命の力ある宣布の時である9/11に解き放たれた。

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「この幻は1847年に与えられたものであり、その当時、安息日を守っていたアドベントの兄弟たちはごく少数であった。そして、その中でも、その遵守が神の民と不信者との間に一線を画するほど十分に重要であると考えていた者は、さらに少数であった。今や、その幻の成就が見え始めている。ここに述べられている『その悩みの時の始まり』とは、災いが注がれ始める時を指すのではなく、それらが注がれる直前の短い期間、すなわちキリストが聖所におられる間のことである。その時、救いの働きが終結に向かっている間に、悩みが地上に臨みつつあり、諸国の民は怒るであろうが、それでも第三天使の働きを妨げないように抑えられている。その時、『後の雨』、すなわち主の御前から来る回復が臨み、第三天使の大いなる声に力を与え、また聖徒たちを、七つの最後の災いが注がれる期間に耐えうるよう備えさせるのである。」『初代文集』85頁。

恩恵期間の終結に至る「短い期間」とは、「キリストが聖所におられ」、救いの「働き」を「終えつつある」期間である。

「キリストの犠牲と祭司職の影であった表象的制度において、聖所の清めは、年ごとの奉仕の循環の中で大祭司によって行われる最後の務めであった。それは贖いの締めくくりの働き、すなわちイスラエルから罪を取り除き、またこれを除き去ることであった。それは、天におけるわれらの大祭司の奉仕における最後の働き、すなわち天の記録に登録されている御民の罪を取り除き、あるいはぬぐい去ることを予表していた。この務めには調査の働き、すなわち裁きの働きが含まれており、またそれは、力と大いなる栄光とをもって天の雲に乗って来られるキリストの来臨に直ちに先立つ。なぜなら、主が来られる時には、すべての事案はすでに決定されているからである。イエスはこう言われる。『見よ、わたしはすぐに来る。わたしの報いはわたしと共にある。それぞれに、その業にしたがって報いるためである。』黙示録 22:12。この裁きの働き、すなわち再臨に直ちに先立つこの働きこそ、黙示録 14:7 の第一天使の使命において宣言されているものである。『神を恐れ、神に栄光を帰せよ。神の裁きの時が来たからである。』」『各時代の大争闘』352頁。

「御民の罪のぬぐい去り」は、生ける者たちの審判の期間に起こる。

それゆえ、悔い改めて立ち返りなさい。あなたがたの罪がぬぐい去られるためである。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたに前もって宣べ伝えられていたイエス・キリストを、主が遣わしてくださるためである。この方は、万物更新の時まで、すなわち、神が世の初めからそのすべての聖なる預言者たちの口を通して語られたことが成就するその時まで、天が受け入れていなければならないのである。使徒行伝 3:19–21.

悔い改めるためには、人は生きていなければならず、また、ペテロがここで完全な意味において言及しているその悔い改めは、「慰めの時が来る」時に生じる。安息とその慰めとは後の雨であり、それは、黙示録十八章の力ある御使いが、その栄光をもって地を照らすために降って来た時に始まった。その力ある御使いはまた、1840年8月11日の第一の御使いでもあり、イスラムが抑止された時に降って来たのであって、その御使いは「イエス・キリストにほかならない御方」であった。「慰め」と「万物回復の時」は、イスラムが諸国民を怒らせるために解き放たれ、次いで十四万四千人が印を押されている間に抑えられることをもって始まる。9/11は、後の雨である慰めと安息の時を画するものであり、またそれは「万物回復」の期間を画するものである。回復されるものは教会であり、それは1863年の反逆以来、戦闘的教会であったが、十四万四千人の印の時に勝利の教会となるのである。

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次の記事において、これら三つの禍いについての考察を続けることにする。