古代の文字どおりのイスラエルの始まり、すなわち紅海を渡った時と、現代の霊的イスラエルの始まり、すなわち大失望のときに、一連の段階的な試練が始まり、やがて最後の試練に至った。民数記においてもミラー派の歴史においても、その最後の試練に失敗したことは、荒野のさまよいの始まりを告げる。

四十年もの間、不信と不平不満と反逆が、古代イスラエルをカナンの地から締め出した。同じ罪が、現代のイスラエルが天のカナンに入るのを遅らせてきた。どちらの場合にも、問題は神の約束にあったのではない。主の民を称する者たちの間にある不信、世俗性、献身の欠如、そして争いこそが、私たちを長年にわたって罪と悲しみのこの世に留め置いてきたのである。

「私たちは、イスラエルの子らがそうであったように、不従順のゆえに、この世にさらに多くの年月とどまらなければならないかもしれない。しかし、キリストのために、主の民は、自らの誤った行動の結果を神のせいにして、罪に罪を重ねてはならない。」『伝道』696頁

初めと同様に、古代イスラエルの歴史の終わりにも段階的な試練の過程があり、それは古代の字義的イスラエルがバビロンに捕囚とされたときに終わった。現代の霊的イスラエルの終わりにおいても、彼らも段階的な試練の過程に直面する。その過程は、日曜法の時にラオデキア的なアドベンチストが打ち倒されるときに終わる。古代イスラエルと同様に、現代の霊的イスラエルも霊的バビロンに捕囚とされる。

予言的に1798年に始まり、1863年に公式に終わったミラー派運動は、1989年に始まり、人間の恩恵期間の終わりとキリストの再臨で終わる十四万四千の運動を予表している。ミラー派運動の終結と第三天使の力強い運動の到来との間には、法的に登録されたラオデキア的セブンスデー・アドベンチスト教会の歴史がある。

「シナイと、カナンの境にあるカデシュとの間は、わずか十一日の道のりにすぎなかった。ついに雲が前進の合図を与えたとき、イスラエルの軍勢は、まもなく麗しい地に入れるとの見通しを抱いて行進を再開した。エジプトから彼らを導き出すにあたり、ヤハウェは驚くべきみわざを行われた。彼らが彼を自らの主権者として受け入れるとの契約を正式に結び、いと高き方の選民として認められた今、なおどれほどの祝福を期待しないでいられただろうか。」『Patriarchs and Prophets』376頁。

彼らの短いはずの旅は、不信と不従順のために四十年に及んだ。もし彼らが、奴隷状態からの力強い解放に基づく信仰を示していたなら、ほどなくヨルダン川を渡って約束の地に入っていたであろう。その場合、彼らがその後に最初に直面したであろう障害は、のちにヨシュアが取り組んだのと同じ障害であった。四十年ののち、文字どおりのイスラエルは荒野を出て約束の地へ向かい、エリコが最初の関門となった。それは、信じるすべての人に救いをもたらす神の力の象徴として立っている。エリコはまた、1863年にミラー派運動が直面すべきであった働きの象徴でもあったが、彼らは荒野へと退いた。エリヤの象徴はエリコの象徴と直接結びついており、エリヤのエリコとの歴史的な関わりを考察することは示唆に富む。

さて、オムリの行ったその他の事績と、彼が示した勇力は、イスラエルの王たちの年代記に記されているではないか。こうしてオムリは先祖たちとともに眠り、サマリアに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。ユダの王アサの第三十八年に、オムリの子アハブがイスラエルの王となり、オムリの子アハブはサマリアで二十二年の間イスラエルを治めた。オムリの子アハブは、彼以前のすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。彼にとってネバトの子ヤロブアムの罪に歩むことが軽いことのようであったうえに、彼はシドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、これを拝んだ。彼はサマリアに建てたバアルの宮に、バアルのための祭壇を築いた。アハブはまたアシェラ像を作った。アハブは、彼以前のどのイスラエルの王にもまさって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こした。彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを建てた。彼は長子アビラムをもってその基を据え、末子セグブをもってその門を立てた。これは、主がヌンの子ヨシュアによって語られた主のことばのとおりであった。ギレアデの住民であるティシュベ人エリヤがアハブに言った。「私の仕えるイスラエルの神、主は生きておられる。私の言葉によらなければ、この数年の間、露も雨も降らない。」 列王記上 16:27-17:1

カルメル山でエリヤがアハブとイゼベルの神々に対して行った対決は、イスラエル北王国の第七代の王の背教に対する応答であった。彼は「彼以前のイスラエルのすべての王にもまして、イスラエルの主なる神の怒りを引き起こした」。その箇所の「provoke」という語は、民数記十四章における第十の試練で表されている「挑発の日」を指している。アハブが神を怒らせたことは、民数記十四章で十人の斥候の悪い報告によってもたらされた十の試練の最後を表していた。ゆえに、それはミラー派運動に対する最後の試練であり、十四万四千人に対する最後の試練をも表している。

それゆえ、聖霊が言われるとおり、きょう、もしあなたがたが御声を聞くなら、荒野での試みの日、そむきの時のように、心をかたくなにしてはならない。ヘブライ人への手紙 3:7,8。

アハブによって象徴される預言的な「挑発の日」において、預言者エリヤは、必要であれば、神がイスラエルに裁きを下して、神の民が犯していた罪から悔い改めるように祈った。

イスラエルの民は、次第に神への畏れと敬意を失い、ついにはヨシュアを通して与えられた御言葉も彼らには何の重みも持たなくなっていた。「彼(アハブ)の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを建てた。彼はその基を長子アビラムによって据え、末子セグブによってその門を立てた。これは、主がヌンの子ヨシュアによって語られた御言葉どおりであった。」

イスラエルが背教に陥っていた間も、エリヤは忠実で真実な神の預言者であり続けた。彼は、不信と背信によってイスラエルの子らが急速に神から引き離されていくのを見て、その忠実な魂はひどく心を痛めた。そして彼は、神がご自身の民を救ってくださるよう祈った。彼は、主が罪を犯しているこの民をまったく見捨ててしまわれないように、むしろ必要とあらば裁きをもって彼らを悔い改めへと目覚めさせ、彼らがさらに罪を重ねて、ついには主を怒らせ、国として彼らを滅ぼすに至らないようにと懇願した。

主の言葉がエリヤに臨み、イスラエルの罪のゆえに下る御裁きを厳しく宣告するため、アハブのもとへ行くよう命じられた。エリヤは昼も夜も旅を続け、ついにアハブの宮殿に着いた。彼は入室の許可を求めることも、正式な取次を待つこともしなかった。アハブにとっては全く予期せぬことに、預言者が常にまとう粗布の衣を身に着けたエリヤが、驚くサマリアの王の前に立った。彼は招かれもせず突然現れたことを詫びることもせず、ただ天に向かって手を上げ、天と地を造られた生ける神にかけて、イスラエルに臨む裁きを厳粛に宣言した。「わたしの言葉によらなければ、これらの年の間、露も雨も降らない。」

「イスラエルの罪のゆえに下る神の裁きを厳しく宣告するこの驚くべき言葉は、背教の王に雷のように降りかかった。彼は驚愕と恐怖のあまり身がすくんだかのようで、彼がその驚きから我に返るよりも先に、エリヤは、自らの言葉の効果を見届けることもなく、現れたときと同じほど突然に姿を消した。彼の務めは神からの災いの言葉を語ることであり、彼はただちに立ち去った。彼の言葉は天の宝庫を閉ざし、そしてそれを再び開くことのできる唯一の鍵もまた彼の言葉であった。」『証言』第3巻、273頁。

イスラエルは、ヨシュアが異教の諸国民と交わらないこと、またエリコを決して再建してはならないことを厳しく命じていたのを忘れてしまっていた。エリコの戦いは神の力の偉大な現れであり、神が御自分の民を約束の地へ導くとの約束のしるしでもあったが、エリコにはまた、罪とのろい、そして救いが結びついていた。「罪」は、エリコの富と影響力をむさぼり求めたアカンの罪、「のろい」はエリコを再建しようとする者すべてに臨むものであり、そして遊女ラハブが「救い」を表していた。アカンは美しいバビロンの衣を欲しがった。彼は、アダムとエバがいちじくの葉の衣で自分の罪を隠そうとしたように、自分の罪を隠せると思った。アカンは、エリコが象徴していた繁栄を欲し、バビロンと結びつくことを望んだ。

エリコは、第三天使のメッセージを世界に運ぶ働きの象徴として示されているが、同時に、世を愛し、世に信頼するという罪への警告も含んでいる。さらに、エリコの象徴にはエリコの再建に対する呪いが含まれており、ラハブは、第三天使の大いなる叫びが告げられるときに出てくる、なおバビロンの中にいる者たちを表している。

エリヤの忠実な魂は深く悲しんだ。彼は憤りを覚え、神の栄光のためにねたみを燃やした。彼は、イスラエルが恐るべき背教の中に沈んでいるのを見た。そして、神が彼らのためになしてこられた大いなるみわざを思い起こすと、悲嘆と驚愕に圧倒された。だが、これらすべては民の大多数に忘れ去られていた。彼は主の御前に進み、魂を苦悶に引き裂かれながら、たとえ裁きによることになろうとも主がご自分の民を救ってくださるよう嘆願した。彼は神に願い求めた。恩知らずのこの民から、天の宝である露と雨を差し控えてくださるように。そうすれば、背教のイスラエルは、地を潤し肥やし豊かに実らせるよう、自分たちの神々――金・木・石の偶像や、太陽・月・星――にむなしく仰ぎ頼むことになるからである。主はエリヤに、彼の祈りを聞いたこと、彼らが悔い改めて主に立ち返るまで民から露と雨を差し控えることを告げられた。

神は、周囲の偶像礼拝の国々と交わることのないよう、ご自分の民を特別に守っておられた。彼らの心が、感覚を惑わせ人々の心から神を押しのけるために、最も贅を尽くし魅惑的に設えられた聖なる木立や祠、神殿や祭壇によって欺かれないように。

エリコの町は甚だしい偶像礼拝にふけっていた。住民は非常に裕福であったが、神が彼らに与えられたすべての富を、自分たちの神々からの賜物だとみなしていた。彼らは金銀を豊富に持っていた。しかし、洪水前の人々のように堕落し、冒瀆に満ち、悪しき業によって天の神を侮り、怒らせた。神の裁きがエリコに下ろうとしていた。それは要塞であった。しかし主の軍勢の将ご自身が天から来られ、天の軍勢を率いてその町を攻撃された。神の御使いたちは巨大な城壁をつかみ、地に倒した。神は、エリコの町はのろいにささげられ、ラハブとその家族を除いて皆滅びるべきだと言われた。これは、ラハブが主の使者たちに示した好意のゆえに、ラハブとその家族は救われることになっていたからである。主が民に語られた言葉はこうである。「ただし、あなたがたは必ずそののろいの物から身を慎め。のろいの物を取れば、それによってあなたがた自身がのろわれ、イスラエルの陣営をのろいとし、これを悩ますことになるからである。」また、「その時、ヨシュアは彼らに誓わせて言った。『主の前にのろわれる者は、このエリコの町を建てようとして立ち上がる者だ。彼は長子をもってその基を据え、末の子をもってその門を建てる。』」

神は、民が住民の礼拝していたものに魅了され、心が神からそれてしまうことのないよう、エリコに関して非常に厳格であられた。神は最も明確な命令によってご自分の民を守られた。しかし、ヨシュアの口を通して与えられた神の厳粛な戒めがあったにもかかわらず、アカンはあえてそれに背いた。彼の貪欲のゆえに、彼は神が彼に触れることを禁じられた宝物のいくらかを取った。そこには神ののろいがかかっていたからである。そしてこの人の罪のために、神のイスラエルは敵の前で水のように弱くなった。

ヨシュアとイスラエルの長老たちは大いなる苦難の中にあった。主がその民にお怒りであったため、彼らは神の箱の前にひたすら身を低くしてひれ伏していた。彼らは神の前に祈り、涙を流した。主はヨシュアに言われた。「立て。なにゆえこのように顔を地に伏せているのか。イスラエルは罪を犯し、わたしが命じたわたしの契約にも背いた。彼らは禁じられたものをさえ取り、盗み、偽りを働き、それを自分たちの持ち物の中に紛れ込ませた。ゆえにイスラエルの子らは敵の前に立ち向かうことができず、呪われた者となったがために、敵の前から背を向けて逃げたのだ。あなたがたのうちからその禁じられたものを滅ぼし去らないなら、わたしはもはやあなたがたと共にいない。」

「私は、ここで、神が、ご自分の戒めを守る民であると公言する者たちの間の罪をどのように見ておられるかを、実例をもって示しておられるのを見せられた。古代イスラエルがそうであったように、その御力の驚くべきあらわれを目撃するという特別の栄誉を与えられながら、なおもその明白な命令を無視することをあえてする者たちは、神の怒りの対象となるであろう。神は、ご自分の民に、不従順と罪は神にとってきわめて不快であり、軽んじられるべきではないことを教えようとしておられる。」 Testimonies, 第3巻、263、264.

エリコの物語には、邪悪で豊かな都の見かけの力と栄光に信頼してはならないという警告が含まれている。聖書の預言において「都」は王国を表し、アカンはバビロンの衣を取った。衣は預言的には品性を象徴するので、「終わりの時代」において、アカンがそのバビロンの衣を隠したことは、霊的バビロンの品性を身に着けたいという隠された願望を表している。霊的バビロンの品性、あるいはその像は、アメリカ合衆国が教会と国家を結びつけるときに欲するものである。

ミラー派運動の若者たちが南北戦争に徴兵される可能性に直面し、また組織化の必要性を認識したため、運動の指導者たちは、本来同化することのないはずの豊かな国家と法的に結びついた。そもそも、その豊かな国の憲法は、教会が国家と結びつく必要はないと定めていた。ミラー派の時代に存在し今日も存続している教派があり、そのうちのいくつかはアメリカ合衆国政府との法的な関係を一度も結んでおらず、そうしないという選択が、それぞれの教会の組織化を何ら妨げることはなかった。

ヨシュアがエリコの戦いを戦ってから久しくして、アハブの時代には、アカンの背教とエリコの滅びに関するすべての警告は、背教に陥った神の民によって忘れ去られていた。エリヤは神に祈り、必要とあれば神の民を悔い改めに導くために神の裁きが行われるよう願い求めた。旧約聖書の最後の言葉をマラキが記すとき、その約束は、主が世界を呪いで打たれるという文脈の中に置かれている。エリコに伴う呪いは、エリコを再建しようとする者の上にあった。その呪いはまた、アカンのように、エリコに結びついた富と繁栄を頼みとしようとする者の上にも及んだ。アカンの「罪」は、バビロンの衣を身にまといたいという、聖別されていない隠れた内なる欲望を表している。その「呪い」は、その内なる欲望を実際に行動に移すことに対して下されるものであった。

ミラーのメッセージは彼の時代におけるエリヤのメッセージであり、南北戦争はそのエリヤのメッセージに伴う裁きを表していた。1863年、南北戦争のさなかに、ミラー派のアドベンチズムはエリコを再建した。これは、それを行う者に対してヨシュアが宣告した呪いの詳細が示しているとおりである。

その時、ヨシュアは彼らに厳粛に誓わせて言った。「主の前に、この町エリコを建てようとして立ち上がる者は呪われよ。彼は長子をもってその基を据え、末の子をもってその門を建てるであろう。」ヨシュア記 6:26

ヨシュアの命令にある「adjured」という語は、誓いであると同時に呪いでもある。ヨシュアの命令を破れば呪われ、誓いを守れば祝福される。「adjured」と訳されている語は、レビ記二十六章では「七倍」とも訳されている。ダニエル書九章で述べられているモーセの誓いと呪いは、エリコの再建と結びついている。

まことに、イスラエルのすべてはあなたの律法に背き、そむいて離れ去り、あなたの御声に聞き従いませんでした。それゆえ、神のしもべモーセの律法に記されている呪いと誓いが私たちの上に注がれました。私たちが神に対して罪を犯したからです。ダニエル書 9:11

ホワイト夫人はこう言った。「神はエリコに関して、住民が礼拝していたものに人々が魅了され、心が神からそれてしまうことのないように、非常に慎重であった。」神はエリコを滅ぼすにあたっても非常に慎重であり、そのためアカンによって示された警告を記録に残すことにも非常に慎重であった。また、エリコ再建に伴う呪いを記録することにも注意深く、城壁を打ち倒すために用いられた神の戦術を明確に示すことにも注意深かった。

間違いなく、主の軍の将としてのイエスが、御使いたちにエリコの城壁を倒すよう命じられたのであり、神の御言葉において偶然になされることは何ひとつない。しかしこの場合、女預言者は「神はエリコに関して非常に厳密であられた」と私たちに告げている。七日間、契約の箱はエリコの町の周囲を運ばれ、また、預言においては一日が一年に相当する。その原則は、荒野での四十年の放浪の初めに記されており、その四十年の終わりに彼らは七日間エリコを巡り囲んだ。

あなたがたがその地を偵察した日の数に応じて、すなわち四十日、一日を一年に数えて、あなたがたは自分の咎を負うであろう。すなわち四十年。そして、あなたがたはわたしの約束違反を知るであろう。民数記 14:34

箱舟は七日間、町の周りを巡り、七日目には町の周りを「七回」巡った。これは、エリコがモーセの誓いの「七回」と結び付けられていることを示す二つの預言的な証拠となっている。神の契約の民は祭司であり、七人の祭司が七つのラッパを吹いた。

あなたがたも、生ける石のように、霊的な家に建て上げられ、聖なる祭司として、イエス・キリストによって神に受け入れられる霊的ないけにえをささげるためである。第一ペテロ 2:5。

ラッパは、それが用いられている文脈に応じて、警告のメッセージ、裁き、あるいは聖なる集会への招きを表す。終わりの時代には、ラッパは見張り人によって吹き鳴らされることになっており、それはミラー派の歴史で吹き鳴らされたのと同様である。祭司たちは、シオンの城壁の上でラッパを吹き鳴らす見張り人を表しており、神の民に来たる裁きを警告すると同時に、その同じ民を聖なる集会へと招く。

シオンで角笛を吹き、わが聖なる山で警報を鳴らせ。地のすべての住民はおののけ。主の日が来るからだ。それは近いからだ... シオンで角笛を吹け。断食を聖別し、厳粛な集会を召集せよ。民を集め、会衆を聖別し、長老たちを集め、子どもたちと乳飲み子をも集めよ。花婿をその部屋から、花嫁をその奥の間から出させよ。主に仕える祭司たちは門廊と祭壇の間で泣き、こう言え、「主よ、あなたの民を憐れんでください。あなたの嗣業を辱めに渡さず、異邦の民に彼らを支配させないでください。どうして諸国民に『彼らの神はどこにいるのか』と言わせてよいでしょうか。」ヨエル 2:1、15-17。

ラッパのメッセージはエリヤのメッセージである。ヨシュア記6章における「七」という語のさまざまな用法は、レビ記26章で「七たび」と訳されている語と同じ、またはその関連派生語である。ところが、ラオデキヤの神学者たちがふるまう作り話というご馳走は、レビ記26章で「七たび」と訳されている語は力の充満や完全さ、あるいはその他の愚かなバリエーションを意味するにすぎないと主張し、「七たび」と訳されている語に数的価値を適用したミラーが正しかったことを否定している。祭司たちは民を率いて町の周りを七たび回ったのであって、エリコの周りを「十分に」あるいは「完全に」回ったのではない。「七たび」と訳されているその語は、数的な値を表しているのだ。

エリコで民が叫んだとき、それは、ダニエル書2章で人手によらずに山から切り出され、像を打ち砕く十四万四千人の大いなる叫びを象徴していた。

これらの王たちの時代に、天の神はひとつの王国を打ち立てられる。それは決して滅びることがなく、その王国はほかの民に渡されることもない。かえって、それはこれらすべての王国を打ち砕いて滅ぼし尽くし、とこしえに立つ。あなたが見たとおり、人手によらずに山から切り出された石が、鉄、青銅、粘土、銀、金を打ち砕いた。大いなる神は、この後に起こることを王にお示しになったのである。この夢は確かであり、その解き明かしは確実である。ダニエル書 2章44、45節。

神は、エリコで見つかった貴金属を、金、銀、真鍮、鉄として注意深く列挙した。預言的には、粘土は、ラハブに象徴される神の民を表している。エリコは、十四万四千人の大声の叫びの時に、地上のすべての王国の終わりを象徴している。

しかし、銀も金も、青銅や鉄の器はみな、主に聖別されたものであり、主の宝物倉に納められる。ヨシュア記6章19節

エリコは、約束の地を征服する働きを表しており、それは第三の天使の力強い運動の働きを象徴している。その働きには、警告、呪い、そして遊女ラハブに代表されるように、祭司職に属さない者たちの救いが含まれている。

ヨシュアの預言的な「呪い」は、後にアハブとエリヤの時代に成就した。エリコの再建に対するその呪いには、そうする者はエリコの門を設けるときに末の子を失い、基礎を据えるときに長子を失うという具体的な予告が含まれていた。エリヤの時代に、ベテル人ヒエルがその預言を成就し、彼が門を設けたときに末の子が死に、基礎を据えたときに長子が死んだ。エリヤのメッセージと関連づけられる「呪い」は、エリコを再建する働きによって表されていた。

見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は父たちの心を子どもたちに向け、子どもたちの心を父たちに向ける。わたしが来て、この地を呪いで打つことのないように。マラキ書 4章5–6節

ミラーのエリヤのメッセージに結び付けられたミラー派の歴史の呪いは、ヨシュアによって予言され、エリヤとアハブの時代に成就した。

彼の代に、ベテル人ヒエルがエリコを建てた。彼はその基礎を長子アビラムによって据え、末の子セグブによってその門を立てた。これは、主がヌンの子ヨシュアによって語られた言葉のとおりであった。列王記第一 16:34。

エリコ再建の呪いは、神がエリコの城壁を倒すに当たって行使した力の顕現と切り離すことはできない。ホワイト夫人はこう述べている。「古代イスラエルがそうであったように、彼の力の驚くべき現れを目撃するという特別な栄誉を与えられながら、なおも彼の明確な指示を敢えて無視する者たちは、彼の怒りの対象となるであろう。」ミラー派の人々は、真夜中の叫びで頂点に達した神の力の顕現にあずかったばかりであったが、それでも、ダニエルもまたモーセの呪いと見なしているモーセの「七つの時」の誓いを退けた。

神の言葉において、名前は品性の象徴であり、エリコを再建したその人の名と、彼の長子と末子の名は非常に示唆に富んでいる。ヒエルは「力のある生ける神」を意味し、ヒエルが生ける神の信奉者であったことを示唆する。彼がベテル人と記されているという事実は、彼を教会と結びつけている。長子アビラムは、高められ、持ち上げられるという意味での「高さの父」を意味する。末子セグブは、「高くそびえること」および「高め、持ち上げること」を意味する。これら三つの名はいずれも神の御性質の要素を表しているが、彼らが成就した預言の文脈では、それらは、エリコを打ち倒された全能の神よりも自分自身を高く掲げ、崇めていた一人の男を表している。預言において「門」は教会を表す。

「謙遜で信仰深い魂にとって、地上の神の家は天の門である。賛美の歌、祈り、キリストを代表する者たちの語る言葉は、神が定められた手段であり、天にある教会、すなわち汚れたものは何一つ入りえない、より高尚な礼拝のために民を備える。」『証言』第5巻、491頁。

エレン・ホワイトの孫であるアーサー・ホワイトなどのアドベンチストの歴史家が証言しているように、教会を設立するための働きは1860年に始まった。

エレン・ホワイトは、教会の働きの運営における秩序の必要性について(『初期の著作』97–104頁参照)かなり詳しく書いて発表しており、またジェームズ・ホワイトも講演やReview誌の記事でこの必要性を信徒に繰り返し強調していたが、教会の動きは鈍かった。一般論として示されたことは好意的に受け止められたものの、それを建設的な具体策に落とし込む段になると、抵抗と反対が生じた。2月にジェームズ・ホワイトが寄せた短い記事は、少なからぬ人々を自己満足から目覚めさせ、そして今や多くの議論が交わされていた。

ミシガンでホワイトとともに働いていたJ. N. Loughboroughが最初に応じた。彼の言葉は肯定的ではあったが、防御的でもあった:

「ある人はこう言う、『法律により財産を所有できるように組織化すれば、あなたがたはバビロンの一部になるだろう。』いや、そうではない。私の理解では、私たちの財産を法律で保護できる立場にあることと、法律を用いて私たちの宗教的見解を保護しそれを強制することとの間には大きな違いがある。もし教会の財産を保護することが誤りだというのなら、なぜ個人がいかなる財産も合法的に所有することは誤りではないのか。—Review and Herald, 1860年3月8日」

ジェームズ・ホワイトは、出版事業の組織化の必要性という問題を教会に提起しつつ、Review誌上の声明を次の言葉で締めくくった。「もし私たちの提案に異議のある人がいるなら、私たちが一つの民として行動できるような計画を、どうか書き表していただけないだろうか。」—同前、1860年2月23日。現場で働く牧師として最初にこれに応答したのは、Review誌の頼もしい通信編集者R・F・コットレルであった。彼の即座の反応は、きっぱりと否定的なものであった。

「Brother White は、教会の財産を確保するという彼の提案に関して、兄弟たちに発言するよう求めた。私はこの提案で彼が具体的にどのような措置を意図しているのか正確には知らないが、法律に従って宗教団体として法人化することだと理解している。私としては、それはバビロンの根底にあるので、『われわれの名を上げる』ことは誤りだと思う。神がそれを是認されるとは思わない。-Ibid., March 22, 1860。」 Arthur White, Ellen G. White, 第1巻, 420, 421.

ジェームズ・ホワイトは1860年に教会になるための取り組みを始め、教会は「門」によって表される。エレン・ホワイトは1860年についてこう述べている。

「1860年、死が私たちの敷居をまたぎ、私たちの家系の最も若い枝を折った。1860年9月20日生まれの幼いハーバートは、同年12月14日に亡くなった。」『証言』第1巻、103頁。

1863年、ホワイト家は長男も失った。遊んで体が熱くなったあと、彼は布製の図表が準備されていた部屋に入り、図表の準備に使われていた湿った布の上で昼寝をした。1843年と1850年の図表は、ミラー派運動の基礎を表している。1863年に作成された図表は、以前ハバククの二つの表に示されていたレビ記26章の「七つの時」を拒絶することを表している。それは偽の基礎となるメッセージを提示している。

[1863]年11月27日金曜日に両親がトップシャムに着いたとき、駅では三人の息子たちとアデリアが出迎えていた。皆見たところ元気そうだったが、風邪をひいていたヘンリーだけは別だった。ところがその次の火曜日、12月1日には、ヘンリーは肺炎でひどく病んでいた。何年も後になって、末弟のウィリーがそのいきさつをこう語り直している:

「両親の不在中、ヘンリーとエドソンは、ハウランド兄の監督のもとで、販売に備えて図表を布に裏打ちする作業に忙しく従事していた。彼らはハウランド家から一街区ほど離れた借りた店舗で働いていた。やがて、ボストンから図表が送られてくるのを待つ間、数日間の小休止を得た。──川辺を長く歩き回って戻ってくると、彼〔ヘンリー〕は考えなしに、紙の図表の裏打ちに使う湿った数枚の布の上に横になって眠ってしまった。開いた窓からは冷たい風が吹き込んでいた。この軽率さがもとで、ひどい風邪をひくことになった。」アーサー・ホワイト『エレン・G・ホワイト』第2巻、70頁

1863年、ミラー派運動は、教会の組織化と、ハバククの二枚の板に表された基礎的真理の拒絶によって終わりを迎えた。ベテル人ヒエルに象徴される主要な指導者は、1860年に門を据えつける働きを始め、そのために末の息子を失った。1863年には、偽の図表が、ヒエルの長男がうたた寝をした休息の場所となった。彼は冷えから体調を崩し、同年に亡くなった。彼の死は、当時作成されていたその図表の上で眠ったことに直接関連づけられた。しかし、1863年に作成されていた図表は、ミラーに象徴されるエリヤが打ち立てた土台の偽物であった。

ヨシュアがエリコの再建を禁じた命令は、「誓わせる」という語で表現されていた。それは誓いと呪いを表しており、レビ記二十六章で「七たび」と訳されているのと同じ語である。これはエリヤのメッセージに伴う呪いであり、その呪いは、法的に組織された教会の形成とミラーの「つまずきの石」の拒否によってミラー派アドベンチズムがエリコを再建した1860年と1863年に成就した。ヒエルはベテル人であった。したがって、預言的に、エリコを再建したヒエルの働きが教会を建てる働きとして強調されている。

ヨシュアの「呪い」は、エリコの戦いの物語と結びついて宣言され、その戦いは「七回」という表現に繰り返し言及せずには語れない。

1863年、エリヤによって提示され、ウィリアム・ミラーによって体現されたモーセのメッセージ(あるいは「誓い」)は「呪い」をもたらした。モーセのメッセージもエリヤの働きも退けられた。エリヤは1989年に戻ってきたが、2001年9月11日以降になるまでモーセと再び結び付けられることはなかった。その情報はまだ弁証されていないが、隙のないものだ。

聖められていない教職者たちは、神に敵対して立っている。同じ口で彼らはキリストとこの世の神をほめたたえる。表向きはキリストを受け入れると称しながら、実際にはバラバを受け入れ、行いによって「この人ではなく、バラバを」と言っている。これらの行を読むすべての者は、よく気をつけよ。サタンは自分に何ができるかを豪語している。彼は、キリストがご自身の教会に存在するようにと祈られた一致を解体しようともくろんでいる。彼は言う、「私は出て行き、偽りの霊となって、できる者はだれでも欺き、非難し、断罪し、捏造しよう」。大いなる光と確かな証拠を与えられてきた教会が、欺きと偽証の徒を受け入れるなら、その教会は主が送られたメッセージを捨て、最も不合理な主張や偽りの仮定、虚偽の理論を受け入れるようになる。サタンは彼らの愚かさをあざ笑う。彼は真理が何であるかを知っているからだ。

多くの者が、手にサタンの地獄の松明から火を移した偽りの預言の松明を掲げて、私たちの講壇に立つだろう。疑いと不信が育まれるなら、自分は多くを知っていると思い込む人々のもとから、忠実な牧師たちは取り除かれてしまう。「もしあなたが知っていたなら」とキリストは言われた。「あなたも、少なくともこの日に、あなたの平和に関わる事柄を知っていたなら! しかし今、それらはあなたの目から隠されている。」

それにもかかわらず、神の土台は堅く立っている。主はご自分のものを知っておられる。聖められた奉仕者の口には偽りがあってはならない。彼は白日のように公明正大で、あらゆる悪のけがれから離れていなければならない。聖められた宣教と出版の働きは、この曲がった世代に真理の光を閃かせる力となるだろう。光を、兄弟たちよ、私たちにはさらに多くの光が必要だ。シオンでラッパを吹け。聖なる山で警報を鳴らせ。聖められた心をもつ主の軍勢を集め、主がその民に何を語られるかを聞かせよ。聞こうとするすべての者に、主はさらに多くの光をお与えになっているからである。彼らを武装させ、装備を整え、戦いに上らせよ—力ある者に対して主を助けるために。神ご自身がイスラエルのために働かれる。あらゆる偽りの舌は沈黙させられる。天使たちの御手が、仕組まれつつある欺きの計略を打ち倒す。サタンのとりでは決して勝利しない。勝利は第三天使のメッセージに伴う。主の軍の将がエリコの城壁を打ち倒したように、主の戒めを守る民も勝利し、すべての反対勢力は打ち負かされる。天から遣わされたメッセージを携えてあなたがたのもとに来た神のしもべたちについて、だれひとり不平を言ってはならない。「彼らは断定的すぎる。語り方が強すぎる」と言って、もはや彼らのあら探しをしてはならない。彼らの語り口が強いこともあろう。しかし、それが必要ではないだろうか。人々が主の御声やそのメッセージに耳を貸さないなら、神は聞く者の耳を鳴り響かせるだろう。神は御言葉に逆らう者を断罪される。

「サタンは、私たちという民の中に、私たちを戒め叱責し、誤りを捨てるよう勧めるものが何一つ入って来ないように、取り得るあらゆる手立てを講じてきた。だが、神の契約の箱を担う民はいる。私たちの中から、もはやその箱を担わなくなる者たちが出て行くであろう。けれども彼らは、真理を妨げる壁を築くことはできない。真理は終わりまで、前へ、上へと進んでいくからである。これまでも神は人々を起こしてこられ、いまもなお、御命令を行う備えをして時を待っている人々がいる—締まりのない漆喰を塗りつけただけの壁にすぎない制限をものともせず通り抜ける人々である。神がご自分の霊を人々に注がれるとき、彼らは働く。彼らは主の言葉を宣言し、その声をラッパのように高らかに上げる。真理は彼らの手にあっても、少しも減じたり力を失ったりすることはない。彼らは民にその背きの罪を、ヤコブの家にその咎を示す。」『牧師たちへの証言』409-411頁。