一般に、もし五人が同じ自動車事故を目撃したなら、その五人の証人は同じ事故について五通りの異なる証言をするだろうと主張される。もっとも今日、聖霊が人類から取り去られつつあるこの時代にあっては、そうした証人の中には、自らの個人的世界観を擁護するために、見たことについて作り話をし、偽りを語る者たちが含まれることは疑いない。そして彼らは、そのようにすることが徳ある行為であると信じているのである。隠された歴史の中には、預言的真理のいくつかの異なる系統があり、それらは同一の出来事についての異なる証人を表している。神の御言葉には偽りはないが、それらの出来事についてはしばしば人間の解釈に欠陥がある。しかし、この歴史に関する聖書的証人たちは、正しく分割されるならば、みな互いに一致している。

ペテロは歴史における十四万四千人の象徴であり、彼の証しは、2020年7月18日の失望から2023年12月31日の覚醒に至るまでの進展的な歴史を表し、次いで外的幻の第一の試験に関わる者として、さらに内的幻の第二の試験、そしてその後に続くナッシュビルの火の玉によるリトマス試験を経て、異邦人に向かって旗を掲げるに至るのである。

ドナルド・トランプは、その隠された歴史の中に、世界のグローバリスト、民主党、および共和党内のRINOたちから成るすべてのグローバリスト勢力を煽動する者として位置づけられている。彼は、七つのうちのものでありながら第八として政治的死から復活する者として、獣の像に結びつけられた預言的特徴を体現している。彼はその隠された歴史全体の中に置かれており、「活動的専制」がまず合衆国に、続いてその後世界に強制される時に統治しているよう定められている。背教したプロテスタント主義は、地の獣の二つの角におけるトランプの対応物として、マカベアの歴史の中に存在している。国際連合およびロシアにおける竜の力のさまざまな現れは、その歴史の中で証言している。教皇制は、あなたの民の強盗たちとして、すべてを結び合わせ、その幻を確立するためにそこに存在している。

ペテロとは、親愛なる読者よ、あなたのことである。ペテロは、十四万四千人の旗印のうちに数えられるべき候補者である。ペテロは、いくつかの預言的系統の中央、すなわちその中間点に立ち、信仰によって至聖所に入り、キリストの幻を見ることによって成し遂げられる変容を受けつつある。ペテロは変貌の山の上におり、そこでキリストのかたちへと変えられるべきである。その一方で、合衆国は獣の像を形成しつつある。

「兄弟たちよ、私たちは自己をさらに少なくし、神をさらに多く持たなければならない。神は教会の力を要求しておられる。だが、私たちの民の能力は、かなりの程度まで、価値なき対象に費やされている。あまりにも多くの時間が、取るに足りない考えや要求にささげられている。神は、私たちが山に登り、より直接にその御前に出ることを望んでおられる。私たちは、世が始まって以来これまでのいかなる時にもまして、キリストの名をとなえた者すべての全面的な献身を要求する危機に入ろうとしている。神の働きは、私たちの持てるすべてを要求する。しかし、私たちの民は、その心が変えられるまでは、この献身を決してささげることはない。彼らには、ペテロが必要としたのと同じほど、回心が必要である。彼らがこのように生かされるとき、キリストは彼らにこう言うことがおできになる。『あなたの兄弟たちを力づけなさい。』『わたしの羊を養いなさい。』『わたしの小羊を養いなさい。』」

「神の力が人間の努力と結び合わされるとき、その働きは刈り株の中の火のように広がるであろう。神は、人間にはその起源を見分けることのできない手段を用いられるであろう。天使たちは、もし人々が神の要求に応えることを怠らなかったなら、自ら成し遂げる祝福にあずかることのできた働きを行うであろう。その働きはいま人に提示されている。彼はそれを引き受けるであろうか。現時点において、働き人たちのために、かんぬきの外されて大きく開かれた多くの扉がある。彼らはこれらの扉から入るであろうか。主人の命に応じて、『ここにおります、主よ、わたしを遣わしてください』と言う備えのできている者はだれであろうか。マケドニヤの叫びが、世界のあらゆる地域からの痛切な訴えのうちに、わたしたちに届いている。『こちらに渡って来て、わたしたちを助けてください。』」『Review and Herald』1885年12月15日。

私たちは山に来て、ペテロがそうであったように回心しなければならない。そして、それをなすとき、イザヤがそうであったように清められるのである。その清めは、神の力が人間の努力と結び合わされるときに成就するものとして示されている。マケドニアの召しは、第四十節の隠された歴史の中に生起する。

「今や、私たちの都市において断固たる努力が払われるべき時が来ている。ルカ21章を読みなさい。これこそこの時代のためのメッセージであり、終わりのこの世代に向けて記されたものである。神が私たちに行うようお与えになった働きと私たちとの間に、何ものをも介在させてはならない。都市にいる人々の前に真理を提示するため、特別な努力が払われなければならない。

「他者のあら探しをすることに、少しの時間も費やしてはならない。すべての争いはやまなければならない。私たちは兄弟として愛し合うべきである。神と共に山に登ろう。そうすれば、私たちは神の栄光の反映を身に帯びて帰って来ることができる。これを得ることのできる唯一の場所は、神と共にいる山の上である。主の律法のうちに示された御言葉を研究するという、なされるべき働きがある。軽く読むことはこれまで多くあった。しかし、真の研究はいったいどれほどなされてきたであろうか。キリストは人々の間に住み、この世において、その律法のまさにその戒めを宣べ伝えられた。」

「その働きはまもなく義のうちに短く成し遂げられるであろう。私たちは、それを完成へと押し進めるための努力において、さらに粘り強く、さらに敬虔な者とならなければならない。ただ活動的であるだけでなく、その活動を集中させて真に力あるものとしなければならない時が来ている。もし私たちが神と共に山において、さらに多くの時を過ごすなら、私たちの働きはいっそう実効あるものとなるであろう。

「私たちの説教には、さらに人を確信させる力が伴わなければならない。御霊の剣は新たに刃をつけられ、力をもって送り出されなければならない。永遠のあらゆる現実を目の前に置く者たちのように、私たちはこれに全力を尽くして取り組むべきではないだろうか。私たちは、聖霊の力が前進し、地上における神の御業を完成することを願う。」Australian Union Conference Recorder, 1906年10月1日。

神性が私たちの人性と結合されるのは、山の上、すなわち至聖所においてであり、そしてルカ21章は、諸都市に対する最後の警告を与えるべき最終世代へのメッセージである。諸都市への警告は、もし私たちが山に来て御自身のかたちに変えられることを拒むなら、天使たちが成し遂げる働きである。その働きは諸都市のためのものである。というのは、最後の世代は、「幾千もの都市」が滅ぼされる時代に生きているからである。諸都市の滅亡という預言的期間はナッシュビルの火の玉をもって始まり、警告の働きもそこから始まるのであり、その働きはルカ21章において特定されている。私たちは長年にわたり、ルカ21章が第三の災いのイスラムについての警告であることを繰り返し示してきた。

ルカ21章において、イエスは、神の選民としての古代イスラエルの拒絶に始まる歴史をたどり、教皇権による迫害の暗黒時代の終わりに至り、さらにミラー派の歴史を導き入れた諸徴にまで及んで語られた。ミラー派の歴史は、十四万四千人の歴史を例証している。

そして、彼らは剣の刃に倒れ、すべての国々へ捕らえ移される。エルサレムは、異邦人の時が満ちるまで、異邦人に踏みにじられるであろう。また、日と月と星にはしるしがあり、地上では諸国の民が当惑し、海と波とどよめきのゆえに苦しむであろう。人々は、地上に臨もうとしている事どものために、恐れおののき、気を失うであろう。天のもろもろの力が揺り動かされるからである。そのとき、人々は、人の子が力と大いなる栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るであろう。ルカ 21:24–27。

ヨハネは『黙示録』第十一章において、教皇権の支配した一千二百六十年が預言的に「異邦人に与えられた」ことを明らかにしており、またルカは、一七九八年において異邦人の時が成就したことを示している。次いでキリストは、ミラー派運動を画する太陽と月と星におけるしるしについて語り、そして「諸国民は苦悩し、途方に暮れ、海と波とは鳴りどよめき、人々は、この世界に臨もうとしていることを思い、恐怖のあまり気を失うであろう」と結んでいる。ルカにおける「諸国民の苦悩」は、『黙示録』における「諸国民の憤り」である。

諸国の民は憤り、あなたの御怒りが来ました。また、死者が裁かれるべき時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、そして御名を恐れる者たち、小なる者にも大なる者にも、報いをお与えになる時、また地を滅ぼす者どもを滅ぼされる時が来ました。黙示録 11:18

神の「怒り」は七つの最後の災害において現れ、それはミカエルが立ち上がり、人類の恩恵期間が終結するときに始まる。諸国の民の怒りは、その恩恵期間の終結へと導く期間である。諸国民の怒りは9.11に始まった。その時、第三の災いとしてのイスラムが到来し、こうして後の雨の到来が示された。

「私は、諸国の民の怒り、神の憤り、そして死者を裁く時とは、それぞれ別個の明確に区別されたものであり、一つが他に続いて起こることを見た。また、ミカエルはまだ立ち上がっておらず、かつてなかったような悃難の時は、まだ始まっていないことも見た。諸国の民は今まさに怒りつつあるが、われらの大祭司が聖所における御業を終えられるとき、彼は立ち上がり、復讐の衣をまとい、そのとき七つの最後の災いが注がれるのである。」

「私は、イエスが聖所における御働きを終えられるまで、四人の天使が四方の風を引き止めるであろうこと、そしてその後に七つの最後の災いが来るであろうことを見た。」『初代文集』36頁。

ミラー派の歴史において、諸国の怒り、あるいはルカが記しているように「諸国民の苦悩」は、イスラムによって成就された。

「1838年、トルコはエジプトとの戦争に巻き込まれた。エジプト側はトルコの勢力を打倒しようとして、今にも成功しかねない情勢であった。これを防ぐために、ヨーロッパの四大列強、すなわちイングランド、ロシア、オーストリア、およびプロイセンが、トルコ政府を支えるために干渉した。」Uriah Smith, Synopsis of Present Truth, 218.

1838年、いわゆる「東方問題」が諸国を揺るがしていたが、その「東方問題」とはイスラム、すなわち聖書にいう東風であった。ミラー派の歴史においては、諸国がイスラムによって揺さぶられ、その後、主は雲に乗って至聖所へ来られたのであり、これは、主が再臨において雲に乗って来られる時を予表している。主が雲に乗って来られる前に、イスラムは諸国を苦しめるのであり、これこそ、ペテロが「幾千もの都市」の滅びに先立って諸都市に宣べ伝えるよう与えられているメッセージである。諸都市の滅びの期間は、ナッシュビルの火の玉によって始まる。

「ああ、神の民が、今やほとんど偶像礼拝に明け渡されている幾千もの町々に差し迫っている滅びを、感じ取ることができたならよいのに! しかし、真理を宣べ伝えるべき多くの者たちが、自分の兄弟たちを告発し、断罪している。神の回心させる力が人々の心に及ぶとき、そこには明白な変化が生じるであろう。人は、批判し、引き倒そうとする傾向をもはや持たなくなる。彼らは、光が世に輝き出るのを妨げる立場に立つことはない。彼らの批判、彼らの告発は、やむであろう。敵の勢力は戦いのために集結しつつある。厳しい闘争がわたしたちの前にある。わたしの兄弟姉妹たちよ、互いに固く結び合いなさい。互いに固く結び合いなさい。キリストと結ばれなさい。『あなたがたは、「同盟だ」と言ってはならない。……また、彼らの恐れるものを恐れてはならない。おののいてはならない。万軍の主、その方を聖なるものとせよ。その方をあなたがたの恐れとし、その方をあなたがたのおののきとせよ。そうすれば、その方は聖所となる。しかし、イスラエルの二つの家には、つまずきの石、妨げの岩となり、エルサレムの住民には、わな、仕掛け網となる。多くの者がその中でつまずき、倒れ、砕かれ、わなにかかり、とらえられる。』」

「世界は一つの劇場である。その俳優である住民たちは、最後の大いなる劇において自らの役を演ずる備えをしている。神は見失われている。人類の大多数の間には、人々が自らの利己的な目的を達するために結託する場合を除いて、一致は存在しない。神はこれを見ておられる。反逆する臣民に関する神の御目的は成就される。世界は人間の手に委ねられたのではない。もっとも、神はしばらくの間、混乱と無秩序の諸力が支配することをお許しになっている。下からの一つの力が、この劇における最後の大いなる場面をもたらそうとして働いている。すなわち、サタンがキリストとして現れ、秘密結社において互いに結びついている者たちのうちにあって、あらゆる不義の欺きによって働くのである。結託への情熱に身を委ねている者たちは、敵の計画を遂行しているのである。原因の後には結果が続くであろう。」

「違反はほとんどその極限に達している。混乱が世界を満たしており、やがて人類の上に大いなる恐怖が臨もうとしている。終わりはきわめて近い。真理を知る私たちは、まもなく圧倒的な不意打ちとして世界に襲いかかろうとしていることに備えているべきである。」Review and Herald, 1903年9月10日。

「混乱と無秩序の諸要素」は、シスター・ホワイトが「高等教育」と呼び、また「不法の奥義」とも呼んでいる制度の実として作り出されつつある。ナッシュビルのパルテノン神殿は、今や「しばらくの間支配権を振るう」その「混乱と無秩序」を生み出している偽りの教育の象徴である。ナッシュビルに降る火の玉はイスラムによってもたらされ、それは「善悪の知識の木」に対する神の裁きを表している。ナッシュビルが打たれると、真夜中の叫びの宣布の短い期間が始まり、それは日曜法へと導く。そこでは、イザヤのいう邪悪な「同盟」が最後の動きを行ない、黙示録第十三章において獣の像として示されている一世界政府を世界が受け入れるよう強いられるのである。イザヤによるこの邪悪な同盟の提示は、十四万四千人の印を押されることと一致している。

この民が「同盟」と言うすべてのことについて、あなたがたは「同盟」と言ってはならない。彼らの恐れるものを恐れてはならない。おののいてはならない。万軍の主、この方をこそ聖なるものとせよ。この方をあなたがたの恐れとし、この方をあなたがたのおののきとせよ。そうすれば、この方は聖所となる。しかし、イスラエルの二つの家にはつまずきの石、妨げの岩となり、エルサレムの住民には罠となり、わなとなる。そのうちの多くの者はつまずき、倒れ、打ち砕かれ、わなにかかり、とらえられる。

証しを包み、律法をわたしの弟子たちの間に封じよ。わたしは、ヤコブの家に御顔を隠される主を待ち望み、主を仰ぎ望む。見よ、わたしと、主がわたしに賜った子らとは、シオンの山に住まわれる万軍の主からイスラエルに与えられた、しるしであり不思議である。人々があなたがたに向かって、「霊媒に問え、ささやき、つぶやく魔術師に問え」と言うとき、民はその神に求めるべきではないか。生ける者のために死者に求めるべきであろうか。律法と証しとに求めよ。もし彼らがこの言葉に従って語らないなら、彼らには光がないのである。イザヤ8:12–20。

ホワイト姉妹のこの一節は、「混乱と無秩序」の時期が「サタンがキリストとして来る」ことへと至ることを示している。サタンは日曜休業令の時にキリストになりすまして現れる。

「神の律法に違反して教皇制の制度を強制する法令によって、わが国は義から完全に離れることになる。プロテスタント主義がその手を淵を越えて伸ばし、ローマの勢力の手を握るとき、またその手を奈落の上にまで差し伸べて心霊主義と手を結ぶとき、そしてこの三重の結合の影響のもとに、わが国がプロテスタント的かつ共和的な政府としてのその憲法のあらゆる原則を否認し、教皇制の虚偽と惑わしの流布のための備えを設けるとき、そのとき私たちは、サタンの驚くべき働きの時が来ており、終わりが近いことを知るのである。」『証の書』第5巻、451。

「混乱と無秩序」の季節は、日曜法に先立って生じる。日曜法の直前、すなわちエクセター・キャンプ集会およびペンテコステ前の高楼における十日間によって予表された時期において、一四万四千人は「互いに身を寄せ合いなさい、わたしの兄弟姉妹たちよ、……キリストと結び合いなさい」と命じられている。印する働きは日曜法の前に行われるのであり、そしてまさにその歴史の中で、悪しき同盟は一つの世界政府を樹立するというその最終的な働きを開始するのである。

印を押す時において、キリストは義人にとっては聖所となるが、悪しき者にとってはつまずきの石となる。キリストは、「多くの者」、すなわち倒れる「エルサレムの住民」にとっては「わなとなり、網となる」が、印を押される少数の者にとっては、「彼」が彼らの「恐れ」となる。

神への「畏れ」はエバに欠けていたものであり、また神を畏れる者たちは、多くのつまずく者たちの上にもたらされる恐れとは異なる種類の恐れを有している。この二種類の恐れは、試みの過程を通過する者たちと、それに失敗する者たちとを示している。通過する者たちは印を押され、そうでない者たちは数字の五によって表される。なぜなら、彼らは「つまずき、倒れ、砕かれ、わなにかかり、捕らえられる」からである。混乱と無秩序の時期がある中で、日曜律法に先立って起こるものとして表されているその印を押す時こそ、十人のおとめのたとえが成就する時である。

つまずく多くの者たちとは対照的に、封印を受ける少数の者たちは、主を「待ち望む」者たちであり、それによって、「待っていた」賢いおとめたちが示されている。また、おとめたちの二つの組のうちには、二種類の恐れに対応する、聖別された預言的待望と、聖別されていない預言的待望とがある。

「花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうととして眠ってしまった。」花婿の遅延は、主が来られると期待されていた時の経過、失望、そして見かけ上の遅れを表している。この不確かな時期にあって、表面的で中途半端な者たちの関心はまもなく揺らぎ始め、その努力も緩んだ。しかし、その信仰が聖書についての個人的な知識に基づいていた者たちは、失望の波も洗い流すことのできない岩の上に足を置いていた。「みな、うとうととして眠ってしまった。」一方の群れは無関心のうちに、自らの信仰を捨て去るに至り、他方の群れは、より明るい光が与えられるまで忍耐強く待っていた。それでもなお、試練の夜にあっては、後者もまた、ある程度、その熱心と献身を失ったように見えた。中途半端で表面的な者たちは、もはや兄弟たちの信仰にもたれかかることはできなかった。各人は、自らのために立つか倒れるかしなければならなかった。」『各時代の大争闘』395頁。

聖別されたあり方で待ち望む者たちは、日曜法の時に、世に対して旗として掲げられるにしたがって、「しるしとなり、不思議となる」べきである。そのとき、善悪の知識の木の問題は、「霊媒に問え、さえずり、つぶやく魔術者に問え」とされる知識と、「律法とあかし」とによって示される知識とを表している。これは、エバとアダムに対してそうであったのと同じ試みである。私たちは、真理に誤謬が混ぜ合わされ、織り交ぜられた教育を受け入れるのであろうか。それとも、「主はこう言われる」という言葉の上に立つのであろうか。もし彼らがこの御言葉にしたがって語らないなら、それは彼らのうちに光がないからである。真の教育と偽りの教育とは、キリストとサタンとの大争闘における真理の主要な一線である。ナッシュヴィルは神の御言葉に対する反逆の象徴であり、それは、ソドムが淫蕩の象徴であり、ニューヨークがアメリカ合衆国の経済力の象徴であり、ペンタゴンがその軍事的威力の象徴であるのと同様に、確かなことである。

ペテロは、神殿の試みを表すナッシュヴィルの火の玉の敷居に、パニウムにおいて、また山において立っている。彼は、火の玉が落ちるとき、ラオディキア的セブンスデー・アドベンチズムが叱責され、辱められようとしていること、そしてナッシュヴィル、アメリカ合衆国、さらに世界が警告される必要があることを認識している。イスラムのメッセージは、カルメルに下った火がエリヤこそ真の預言者であることを証明したのと同様に、使者たちを証しする。しかし、ナッシュヴィルへの警告は、単に第三の災いとしてのイスラムそのものではなく、ましてやその奇襲攻撃においてどのような種類の兵器が用いられるかということでもない。警告のメッセージは、なぜイスラムが裁きをもたらすことを許されているのかを明らかにしなければならない。その裁きは、幾千もの都市が滅ぼされる期間を開始するのである。イスラムがナッシュヴィルに対する奇襲攻撃をもたらすことを前もって特定することは、使者たちを立証するであろうが、もしそれがなすことのすべてであるならば、それは不完全な警告である。

ナッシュヴィルの火の玉は、神の裁きであり、それは日曜法において終わる短い期間の始まりである。そしてその日曜法もまた、その期間の初めと同様に神の裁きである。神はアダムとエバに、試みが何であるか、またその試みに失敗したならばどのような結果になるかを、あらかじめ告げられた。ホワイト姉妹は、「原因から結果へ」と推論することの重要性を明らかにしており、聖書は、「原因」のない「のろい」は来ないと示している。

鳥がさまよい、つばめが飛び回るように、いわれのないのろいは来ない。箴言 26:2

ナッシュヴィルの火の玉は、「結果」であり、到来する「呪い」である。警告のメッセージには、必ずその「原因」が含まれていなければならない。預言者ヨナのメッセージは、単に四十日のうちに下る滅びを告げるだけのものではなく、王から民衆に至るまで、リバイバルと改革をもたらした。明らかにされたのは、王とその民が悪しき道から立ち返ったということであった。ヨナは彼らに来たるべき滅びを告げ、そしてそれが彼らの邪悪で悪しき生活様式のゆえであると告げた。

このことがニネベの王に伝わると、彼はその王座から立ち上がり、その身から王服を脱ぎ、荒布をまとって灰の中に座した。そして王とその大臣たちの布告による勅令として、ニネベ中に宣言し、公布させて言った。「人も獣も、牛の群れも羊の群れも、何ひとつ味わってはならない。草を食べさせてもならず、水を飲ませてもならない。しかし、人も獣も荒布をまとい、力強く神に叫び求めよ。そうして、おのおのその悪しき道から、またその手にある暴虐から立ち返れ。」ヨナ 3:6–8。

イスラムはラッパの勢力であり、また黙示録第八章から第十一章の七つのラッパ、さらに第十六章もまた、特定の預言的特徴を有している。最初の四つのラッパは、321年に最初の日曜法を制定したことに対する帝政ローマへの裁きであった。次の二つのラッパは、538年に日曜法を制定したことに対する教皇制ローマへの裁きであった。黙示録第八章から第十一章の七つのラッパは、日曜遵守の強制に対する神の人類への裁きである黙示録第十六章の七つの最後の災いを予表している。

ナッシュヴィルの警告のメッセージは、日曜法へと導く足跡を明らかにしなければならない。そして、預言的証言に基づけば、裁きはその原因に先行するのではなく、それに続くのである。裁きは日曜礼拝強制の結果である。われわれが考察している第四十節の隠された歴史における五人の証人は、それぞれ異なる証言を提供しているが、人間の証人とは異なり、すべての預言の線は一つに溶け合っている。アメリカ合衆国における究極の日曜法の足跡を見定めることは、ペテロがドナルド・トランプの証言を結び合わせて、ナッシュヴィルの火の玉の結果を説明するときに成し遂げられる。

ナッシュビルの世界に対する警告は、その時点において、神が人々と諸国民に対する最終的な審判を開始されるということである。次いで諸都市の滅亡の時期が始まり、やがて日曜法へと急速に至る。その時、国家的背教に続いて国家的破滅が到来する。ついでサタンが到来してキリストを装い、そして十人の王たちが、幻を確立するあなたの民のうちの強盗どもに自分たちの王国を与えることに同意する時、邪悪な同盟が樹立される。ナッシュビルの警告は、ドナルド・トランプが獣に像を造ることによって示される、ナッシュビルに先行する歴史によって表象されている。トランプのメッセージは、ナッシュビルの火の玉に先立つ警告のラッパである。

これらのことについては、次の記事で引き続き扱うことにする。