エゼキエル書には、驚嘆すべき重要な預言の筋道と真理が数多くある。神殿の内にいる預言者たちに関する聖書的描写の中で、車輪の中の車輪を他のすべてにもまして特定しているのはエゼキエルである。それらの車輪は、シスター・ホワイトによれば、人間の活動の複雑な相互作用を表しており、後の雨の時代における出来事の連なりを例証している。それらの出来事は、預言者自身が、演じられた譬えの中で預言の一部となったときに表象されている。たとえば、エルサレム包囲についての第四章の実例において、エゼキエルが左の脇腹、次いで右の脇腹を下にして横たわった時のようである。また、エゼキエルの歴史を輪郭づける十三の特定の日付があり、それによって、十四万四千人が印せられる後の雨の期間の道標が示されている。真理は日付によってのみ伝えられているのではなく、十七、十九、二十五、七十、四十、三百九十、そしてもちろん三十といった数によっても伝達されている。さらに、エゼキエル書においておそらく最も重要な数である別の数は、百五十という数である。しかし、百五十という数はエゼキエル書の中には見いだされない。それでもなお、線の上に線を重ねるようにして――それはそこにある。

百五十という数は、包囲の系譜の中に預言的に織り込まれており、しかもその包囲は明確な預言的系譜である。あるいは、言い換えるなら、包囲は一つの輪である。歴史における預言的系譜は、常にアルファとオメガを有しており、したがってアルファとオメガの特質は、その系譜の初めと終わりに表されていなければならない。そうでなければ、それは系譜ではない。包囲のアルファの出来事はエゼキエルの妻の死であり、包囲の終わりは、エルサレムの滅びによって表される、キリストの花嫁の死であった。

そして私ヨハネは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから天より下って来るのを見た。また私は、天から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの神となられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取られる。もはや死はなく、悲しみも、叫びも、苦しみも、もはやない。以前のものが過ぎ去ったからである。」すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらの言葉は真実であり、信頼すべきものである。」さらに私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファでありオメガである。初めであり終わりである。渇く者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者はこれらのものを受け継ぐ。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、臆する者、不信仰な者、忌むべき者、人を殺す者、淫らな者、魔術を行う者、偶像を拝む者、またすべて偽る者どもの受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」そして、七つの最後の災害の満ちた七つの鉢を持つ七人の御使いのうちのひとりが来て、私に語って言った。「ここに来なさい。子羊の妻である花嫁をあなたに見せよう。」黙示録 21:2–9。

エゼキエルの妻は包囲の開始に際して死に、そこで彼女はエゼキエルの「目の喜び」とされている。そして、同じ章に記されているエルサレムの滅亡において、エルサレムはイスラエルの「目の喜び」とされている。

再び第九年、第十の月、その月の十日に、主の言葉がわたしに臨んで言われた、……また主の言葉がわたしに臨んで言われた、「人の子よ、見よ、わたしは一撃をもってあなたの目の喜びを取り去る。しかし、あなたは嘆いてはならず、泣いてはならない。また、涙を流してはならない。声を立てずに嘆け。死者のために喪に服してはならない。頭にかぶり物を着け、足に履き物を履き、口ひげをおおってはならず、人々のパンを食べてはならない。」そこで、わたしは朝、人々に語ったが、夕方、わたしの妻は死んだ。そして翌朝、わたしは命じられたとおりに行った。すると人々はわたしに言った、「あなたがそのようにしているこれらのことが、わたしたちにとって何を意味するのか、告げてはくださらないのですか。」

そこで私は彼らに答えた。「主の言葉が私に臨んで言われた。イスラエルの家に告げよ、『神である主はこう言われる。見よ、わたしはあなたがたの力の栄え、あなたがたの目の慕うもの、あなたがたの魂の惜しむところであるわたしの聖所を汚す。あなたがたが残してきたあなたがたの息子たち、娘たちは剣に倒れる。あなたがたは私がしたようにしなければならない。口ひげをおおってはならず、人々のパンを食べてはならない。あなたがたの頭にはターバンがあり、足には履き物を履いたままでいなければならない。あなたがたは嘆いてはならず、泣いてはならない。ただ自分たちの咎のうちに衰え果て、互いにうめかなければならない。』」

このように、エゼキエルはあなたがたへのしるしとなる。彼が行ったすべてのことに従って、あなたがたも行うのである。そして、このことが起こるとき、あなたがたは、わたしが主なる神であることを知るようになる。また、人の子よ、わたしが彼らからその力、その栄光の喜び、その目の慕うもの、その心の寄せるもの、すなわちその息子たちと娘たちを取り去るその日には、その日に逃れた者があなたのもとに来て、あなたにそれを耳で聞かせることになるではないか。その日には、あなたの口はその逃れて来た者に向かって開かれ、あなたは語って、もはや口のきけない者ではなくなる。こうして、あなたは彼らへのしるしとなり、彼らは、わたしが主であることを知るようになる。エゼキエル24:1, 15–27。

包囲のアルファはエゼキエルの慕うものの死であり、オメガはイスラエルの慕うものの死である。

聞いているが、聞いていない

長老たち、あるいは民が、何らかのかたちでエゼキエルに聞き従っているように描かれている箇所は五つある。エゼキエル8:1では、ユダの長老たちが彼の前に座している。エゼキエル14:1では、長老たちが来て彼の前に座する。エゼキエル20:1では、イスラエルの長老たちが主に伺いを立てるために来る。エゼキエル37:18では、神はエゼキエルにこう告げられる。「When the children of thy people shall speak unto thee, saying, Wilt thou not shew us what thou meanest by these?」 第二十四章では、民が直接こう尋ねる。「Wilt thou not tell us what these things are to us, that thou doest so?」 これら五つのいずれの場合にも、長老たち、あるいは民はラオデキヤ的状態にある。

すると主は言われた。「行って、この民に告げよ。『あなたがたは確かに聞くが、悟ることはない。確かに見るが、知ることはない。』この民の心を鈍らせ、その耳を重くし、その目を閉ざせ。彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、いやされることのないためである。」イザヤ 6:9, 10.

聞いても聞かず、また見ても見ない民についての五つの表象は、イザヤの証言において見ようとも聞こうともしない者たちの五つの段階と一致している。

しかし、主の言葉は彼らにとって、戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、そこに少し、であった。それは、彼らが行って後ろに倒れ、砕かれ、罠にかかり、とらえられるためであった。イザヤ書 28:13

彼らのうち多くの者がつまずき、倒れ、砕かれ、わなにかかり、とらえられる。イザヤ 8:15。

しるし

エゼキエル書第二十四章において、包囲攻撃の開始とエゼキエルの妻の死――彼の目の慕わしきもの――に始まる期間は、エルサレム――イスラエルの目の慕わしきもの――の死をもって終わる。この一年半にわたる包囲にはアルファとオメガのしるしが刻まれており、その期間はしるしをもって始まり、しるしをもって終わる。エゼキエル書第二十四章におけるのと同様に、イエスはマタイ二十四章において、その包囲攻撃のしるしを明らかにしておられる。

「キリストの言葉は大勢の人々の聞くところで語られたが、主がひとりでおられたとき、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレが、オリーブ山に座しておられる主のみもとに来た。『お知らせください』と彼らは言った。『これらのことは、いつ起こるのでしょうか。また、あなたの来臨と世の終わりのしるしは、何でしょうか。』イエスは、エルサレムの滅亡と御自身の来臨の大いなる日とを、それぞれ別個に取り上げて弟子たちにお答えにはならなかった。主はこの二つの出来事の描写を織り交ぜられた。もし主が、御自身の見ておられたとおりに将来の出来事を弟子たちに明らかにされたなら、彼らはその光景に耐えることができなかったであろう。主は彼らに憐れみをもって、二つの大きな危機の描写を一つに重ね、弟子たちにはその意味を自ら探り求めるようにされたのである。主がエルサレムの滅亡に言及されたとき、その預言の言葉はその出来事を越えて、主がその所から立ち上がって世の不義を罰せられる日、地がその血をあらわにし、その殺された者たちをもはや覆い隠さなくなる日、すなわちあの日の最後の大火にまで及んでいた。この一連の説話は、弟子たちだけのためではなく、地上の歴史の最後の場面に生きる者たちのためにも与えられたのである。」

弟子たちのほうを向いて、キリストは言われた。「だれにも惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、『わたしがキリストである』と言って、多くの人を惑わすであろう。」多くの偽メシアが現れ、奇跡を行うと主張し、ユダヤ民族の解放の時が来たと宣言するであろう。これらの者は多くの人を誤りに導く。キリストの言葉は成就した。キリストの死とエルサレム包囲との間に、多くの偽メシアが現れた。しかしこの警告は、この世界のこの時代に生きる者たちにも与えられたのである。エルサレム滅亡に先立って行われたのと同じ欺瞞が、時代を通じて行われてきたのであり、そして再び行われるであろう。

「『また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。気をつけて、うろたえることがないようにせよ。これらのことは必ず起こるが、まだ終わりではない。』エルサレムの滅亡に先立って、人々は覇権を争った。皇帝たちは殺害された。王座の次に立つはずであった者たちも殺された。戦争があり、戦争のうわさがあった。『これらのことはみな必ず起こる』とキリストは言われた。『しかし、終わり[一つの国民としてのユダヤ民族の終わり]はまだ来ていない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。また、方々に飢饉と疫病と地震があるであろう。これらはみな産みの苦しみの初めである。』キリストは言われた、ラビたちがこれらのしるしを見るとき、彼らはそれを、神が御自分の選民を束縛の下に置いている諸国民に下される裁きであると宣言するであろう。彼らはまた、これらのしるしこそメシヤの到来の徴であると宣言するであろう。惑わされてはならない。それらは神の裁きの始まりである。民は自分自身に目を向けてきた。彼らは、わたしが彼らをいやすことができるように、悔い改めて回心しなかった。彼らが束縛からの解放の徴であるとしているしるしは、彼らの滅びのしるしなのである。』」『各時代の希望』628。

西暦66年におけるエルサレム包囲には、ローマがその軍旗を聖所の境内に立てるというしるしが含まれていた。イエスは、西暦66年から70年の時期に起こった出来事についての注解において、西暦70年の滅亡を御自身の再臨と結び合わせられた。そして、御自身の再臨には、それに伴う一つのしるしがある。

「間もなく、私たちの目は東の方へと引き寄せられた。というのは、人の手の半分ほどの大きさの小さな黒い雲が現れたからであり、私たちは皆、それが人の子のしるしであることを知っていた。」The Day Star, 1846.

西暦66年から70年に至る歴史の始まりと終わりには、包囲の開始および都の滅亡に結び付けられたしるしが含まれており、それは紀元前587年および紀元前586年における「目の欲するもの」の死のアルファとオメガのしるしと一致している。

一年半にわたる包囲の歴史は、終わりの日のための「しるし」である。エゼキエルの歴史に表されている愚かな乙女たちは、西暦66年に包囲のしるしを見て安全な場所へ逃れた賢い乙女たちの歴史の中に、その対応するものを見る。一年半の包囲は、二つの階級の礼拝者を明らかにするしるしである。一つの階級はそのしるしを理解するが、もう一つの階級、すなわちイザヤによって「多くの者たち」として表されている者たちは、見ず、また聞かない。

多くの者と少数の者

そこで王はしもべたちに言った、『その者を手足を縛って連れ出し、外の暗やみに投げ込め。そこで泣き叫び、歯ぎしりするであろう。』招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのである。マタイ 22:13, 14.

このように、後の者が先になり、先の者が後になるのである。招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。マタイ 20:16。

見、また聞くために

エゼキエル書には、身ぶりをもって演じられた譬えが五つあり、またエゼキエルが指導者たちと民に語ったことも五度ある。その二人の証人は、『見よう』とせず、『聞こう』ともしない五人の愚かな処女を指し示している。彼女たちは、ユダ族の獅子として御自身の預言の御言葉の封印を解かれるイエスによって増し加えられる知識を、見ようとも聞こうとも拒むのである。

世は見、そして聞くであろう

世界のすべての住民、地に住む者よ、見よ、彼が山々の上に旗を掲げるとき。ラッパを吹き鳴らすとき、聞け。イザヤ書 18:3。

その日には、耳しいた者が書物のことばを聞き、盲人の目はかすみの中から、また暗やみの中から見える。イザヤ29:18。

愚かで無知なわたしの民は知識を持たない

いつまで私は旗を見、角笛の音を聞かなければならないのか。まことに、わたしの民は愚かであって、わたしを知ろうとしなかった。彼らは愚鈍な子らであり、悟ることがない。悪を行うことには賢いが、善を行うことについては何の知識もない。エレミヤ4:21, 22

これをヤコブの家に告げ、ユダに布告して言え。今、これを聞け、愚かな、悟りのない民よ。彼らには目があるが見ず、耳があるが聞かない。エレミヤ 5:20, 21.

反逆の家

また主の言葉が私に臨んで言われた、「人の子よ、あなたは反逆の家のただ中に住んでいる。彼らには見るための目がありながら見ず、聞くための耳がありながら聞かない。彼らは反逆の家だからである。」エゼキエル 12:1, 2.

それゆえ、わたしが彼らにたとえで語るのは、彼らが見ていても見ず、聞いていても聞かず、また悟らないからである。こうして、イザヤの預言は彼らにおいて成就する。すなわち、こう言われている。『あなたがたは聞いても聞き取らず、見ても見分けない。なぜなら、この民の心は鈍くなり、その耳は聞くに鈍く、その目は自ら閉じてしまったからである。これは、彼らが目で見、耳で聞き、心で悟って立ち返り、わたしが彼らをいやすことのないためである。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いであり、あなたがたの耳は聞いているから幸いである。まことに、わたしはあなたがたに言う。多くの預言者たちと義人たちは、あなたがたの見ていることを見たいと切に願ったが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったが、聞くことができなかったのである。マタイ 13:13–17。

古き道筋

主はこう言われる。道々に立って見よ。いにしえの道を尋ね、良き道がどれであるかを問い、その中を歩め。そうすれば、あなたがたの魂は安らぎを見いだす。しかし彼らは言った。「われわれはその中を歩まない。」また、わたしはあなたがたの上に見張り人を立てて言った。「ラッパの音に聞き従え。」しかし彼らは言った。「われわれは聞き従わない。」エレミヤ 6:16, 17.

1840年―1844年の使命

「1840年から1844年に与えられたすべてのメッセージは、今、力強く提示されなければならない。なぜなら、自らの拠りどころを失ってしまった人々が多いからである。そのメッセージは、すべての教会に伝えられなければならない。 」

「キリストは言われた。『あなたがたの目は見ているから幸いであり、あなたがたの耳は聞いているから幸いである。まことに、あなたがたに告げる。多くの預言者や義人たちは、あなたがたの見ているものを見たいと切に願ったが見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったが聞くことができなかった』[Matthew 13:16, 17]。1843年と1844年に見られた事柄を見た目は、幸いである。」

「その使命は与えられた。そして、その使命を繰り返し告げることに遅れがあってはならない。時のしるしが成就しつつあり、最後の働きが成し遂げられなければならないからである。大いなる働きが短い時のうちに行われるであろう。やがて、神の定めにより一つの使命が与えられ、それは大いなる叫びへとふくれ上がるであろう。その時、ダニエルは自分の持ち場に立って、その証しをするであろう。」Manuscript Releases, volume 21, 437.

包囲のしるし

エゼキエル書には、彼が人々の前でたとえを「演じて示した」箇所が五度あり、しかもその人々は見ることを拒んだ。また彼がその人々に向かって「語った」箇所も五度あり、しかもその人々は聞くことを拒んだ。演じられたたとえと語られた言葉という二つの証人は、五人の愚かな乙女たちに提示されたのである。これらの演じられたたとえの一つ、第四章にあるものは、来たるべき滅亡を警告する包囲の「しるし」を表している。エゼキエルのメッセージは、ラオディキアへのメッセージである。

ラオデキヤに与えられた「しるし」は「包囲のしるし」であり、後の日の包囲は、複数の証人によって表されている。キリストの時代のユダヤ人に与えられた唯一のしるしはヨナのしるしであり、ヨナは、鯨の腹の中での三日間という、身をもって演じられたたとえを表している。

そのとき、律法学者とパリサイ人のうちのある者たちがイエスに答えて言った、「先生、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」しかし、イエスは彼らに答えて言われた、「邪悪で姦淫な時代はしるしを求める。だが、それに与えられるしるしは、預言者ヨナのしるしのほかにはない。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子もまた三日三晩、地の قلبの中にいることになるのである。」マタイ 12:38–40

ヨナのしるし

ヨナのしるしは、死からの復活を行為によって示したたとえであった。ヨハネもまた同じ真理を表している。というのは、彼は煮えたぎる油の釜に投げ込まれながら、生きて出て来たからである。獅子の穴に入れられたダニエルと、ネブカデネザルの炉の中にいた三人の勇士も、死からの復活を表している。これらはすべて、黙示録第十一章において復活する十四万四千人を表している。

「救い主の思いは今や、過去と未来を黙想することから立ち返った。人々が、自分たちの心に与えられた印象に従い、また自分たちの持っている光に応じて、見聞きしたことを説明しようと努めていたとき、『イエスは答えて言われた、「この声があったのは、わたしのためではなく、あなたがたのためである。」』それは、イエスのメシア性を決定的に証しするものであり、イエスが真実を語られたこと、また神の子であることを示す、父からのしるしであった。ユダヤ人たちは、この高き天からの証言に背を向けるのであろうか。彼らはかつて救い主に、『わたしたちが見て信じるために、どんなしるしを見せてくださるのか』と尋ねた。キリストの働きの全期間を通じて、数え切れないほどのしるしが与えられていた。にもかかわらず、彼らは確信に至ることを恐れて目を閉ざし、心をかたくなにしていた。ラザロの復活という最大の奇跡でさえ、彼らの不信仰を取り除くことはなく、かえっていっそうの悪意で彼らを満たした。そして今や、父が語られ、もはやこれ以上のしるしを求めることもできないというのに、彼らの心は柔らかくならず、なおも信じることを拒んだ。」『Spirit of Prophecy』第3巻、79頁。

ラザロは、鯨の腹の中にいたヨナによって演じ示された復活のしるしであった。復活したラザロに関連する父の御声は、神性と人性との結合を表しており、これは言うまでもなく、人の肉を自らの上に取られたキリストの本性である。神性と人性との結合は、十四万四千人の旗印であり、ラザロは、創造主と被造物との結合を成し遂げる復活の力のしるしである。

「ラザロのよみがえりによって、多くの人々がイエスを信じるよう導かれた。救い主が到着される前に、ラザロが死に、墓に葬られることは、神のご計画であった。ラザロのよみがえりはキリストの最高の奇跡であり、そのゆえに多くの人々が神をあがめた。」『Manuscript Releases』第21巻、111頁。

ラザロはエルサレムへの凱旋入城を先導し、ヨナによって例示される復活の生ける「しるし」であった。

「墓の中でそのからだが朽ちるのを見たラザロが、しかし今や栄光ある成人男子の力のうちに喜びつつ、救い主の乗られた獣を導いた。」『各時代の希望』572頁。

栄光に満ちた入城は、十人のおとめのたとえのアルファ的成就であったエクセター・キャンプ・ミーティングと符合しており、それゆえ、ヨナとラザロの「しるし」を、「見よ、花婿が来る!」という使命の宣布のオメガ、すなわち完全な成就と一致させるのである。

「私はしばしば、十人の処女のたとえへと注意を向けさせられる。そのうち五人は賢く、五人は愚かであった。このたとえは、文字どおりに成就してきており、また成就するであろう。というのは、それはこの時代に対する特別な適用を有しており、第三天使の使命と同様に、成就してきており、時の終わりに至るまで現在の真理であり続けるからである。」Review and Herald, 1890年8月19日。

ヨナ、ラザロ、そしてサミュエル・スノーがエクセターのキャンプ集会に遅れて到着したことは、エゼキエルの「包囲のしるし」と一致している。ラザロはろばに乗ったキリストをエルサレムへと導いた。

「ベイツは、1844年8月にエクセター(ニューハンプシャー州)で開かれたキャンプ集会における重要な指導者の一人であり、そのとき初めて『真の真夜中の叫び』が提示された。折しもベイツは、その朝の集会で説教を担当することになっていた。彼が聴衆に忠実であるよう勧め、神はただ彼らを試しておられるのであり、彼らは遅延の時にいるのだと、またそれに類することを落ち着いて確信をもって語っていたその時、サミュエル・S・スノーが馬に乗ってそのキャンプに到着した。スノーは妹のジョン・カウチ夫人の傍らに席を取り、キリストは定められた時に現れ給うとの自らの確信を重ねて述べた。深く心を動かされたカウチ夫人は、立ち上がって『ここに、神からの使命を携えた人がいます!』と宣言し、聴衆を驚かせた。」ルロイ・フルーム『The Prophetic Faith of our Fathers』第4巻、549頁。

1521年4月、マルティン・ルターは馬車でヴォルムス帝国議会へ赴き、そこで教皇の伝統と慣習を退け、次のように述べた。「私が聖書の証言、あるいは明白な理性によって納得させられないかぎり……私はいかなることも撤回することはできず、また撤回しようとも思わない。良心に反して行動することは、安全でも正しくもないからである。ここに私は立つ。ほかに為し得ることはない。神よ、我を助けたまえ。アーメン。」

パリサイ人たちがキリストの凱旋入城に反対したように、教皇権の当局者たちもまたルターの入城に反対した。そこでルターはその名を改め(これは印の象徴である)、ドイツ語で新約聖書を翻訳している間、ひそかに隠された。ヴォルムス帝国議会における彼の弁明は、当時の教会国家当局による死刑令へと導いた真夜中の叫びを予表し、それによって日曜法をも予表した。『ユンカー・イェルク』という名のもとに十か月間潜伏した後、当局からの脅威は変化しており、その主因は、腐敗したカール五世が直面していた二つの軍事的問題にあった。その二つの軍事的脅威とはフランスとイスラムであり、今日人類に立ちはだかっている、社会主義とイスラムという同じ不聖な同盟を表していた。

「地上における神の御業は、時代から時代へと、あらゆる大いなる改革または宗教運動において、驚くべき類似性を示している。人間に対する神の取り扱いの原則は常に同一である。現在の重要な運動には過去のそれらに対応するものがあり、また前の時代における教会の経験は、私たち自身の時代にとってきわめて価値ある教訓を有している。」『各時代の大争闘』343頁。

ラザロに導かれたろばがキリストをエルサレムへと運び、馬車がルターをヴォルムス帝国議会へと運び、そして馬がスノーをエクセターのキャンプ集会へと運んだ。このことにより、「ウマ科(Equidae)」に属し、「ウマ属(Equus)」の一員であるろばと馬の双方が、真夜中の叫びのメッセージのしるしとして示されている。

シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王があなたのもとに来られる。この方は義なる方であって、救いを携え、へりくだって、ろばに乗り、雌ろばの子である子ろばに乗って来られる。ゼカリヤ 9:9。

真夜中の叫びのメッセージのしるしは、ろば、あるいは馬の到来であり、そのいずれもイスラムの象徴である。真夜中の叫びの真のメッセージの選ばれた使者は、キリストがろばに乗って来られたことと符合して、馬に乗って到来した。終わりの日における「包囲」は、ナッシュビル市が「火の玉」によって打たれるべきであるというエレン・ホワイトの特定の成就によって示される。

なぜ包囲はナッシュヴィルの火の玉から始まるのか。それは、神の預言の御言葉において、イスラムがろばと馬によって表されているからであろうか。

スミルナ

皇帝ネロは、西暦64年にローマの都が焼かれた時、スミルナの教会の始まりを画する。この年代は、キリスト教会に対する迫害の開始を示しており、その迫害は二百五十年にわたって遂行され、西暦313年のミラノ勅令において終結した。獣の像の形成は、来たるべき日曜法における獣の刻印によって表されるオメガの道標をもって終わる一期間を導入するアルファの道標を表している。その期間は、「勅令」をもって始まるものとして特定されている。

「読者が、間もなく到来する闘争において用いられる勢力を理解しようとするなら、過去の時代にローマが同一の目的のために用いた手段の記録をたどりさえすればよい。教皇主義者とプロテスタントが結託して、その教義を退ける者たちをどのように扱うかを知ろうとするなら、安息日とその擁護者たちに対してローマが示した精神を見ればよい。」

「王の勅令、総会議、そして世俗権力によって支えられた教会の規定こそ、この異教の祭日がキリスト教世界において名誉ある地位を獲得するに至った段階であった。日曜日の遵守を強制する最初の公的措置は、コンスタンティヌスによって制定された法律であった。(西暦321年。53ページの付録注を参照。)この勅令は、町の住民に『尊ぶべき太陽の日』に休息することを求めたが、農村の人々には農業の仕事を続けることを許した。事実上それは異教的な法令であったが、名目上キリスト教を受け入れた後に、皇帝によって施行された。」『各時代の大争闘』574ページ。

スミルナの教会からペルガモの教会への移行を画した最初の王令は、西暦313年のミラノ勅令であった。それは、西暦321年の最初の日曜法へと導いた第一歩を表していた。エルサレムの滅亡は日曜法を予型しており、二人の預言的証人が、その滅亡に先行した包囲を示している。紀元前587年におけるバビロンの第三回の包囲と、西暦70年におけるローマの第二回の包囲によって表されるこれら二つの包囲は、日曜法という道標に先立つ道標が――預言的包囲であることを示している。

ネブカドネザルはエホヤキムに対して包囲を敷き、次いでエホヤキン、最後にゼデキヤに対して包囲を敷いた。ケスティウスは西暦66年に包囲を敷き、ちょうど紀元前587年の第三の包囲がエゼキエルの妻の死というしるしを伴っていたように、イエスが教会に与えておられたしるしを成就した。エルサレムの滅亡に先行する道標は包囲であり、またそれは「しるし」でもある。西暦321年の日曜法に先行した道標はミラノ勅令であり、そこにおいて、何の譴責も受けない教会(スミルナ)から、妥協した教会の象徴であるペルガモへと移行したのである。

したがって、ミラノ勅令は預言的包囲の始まりであり、また一つのしるしでもある。それはまた、十四万四千人のラオディキヤ的運動が十四万四千人のフィラデルフィヤ的運動へと移行する地点を示している。

フィラデルフィアとスミルナは、黙示録における七つの教会のうち、非難を受けていない唯一の二つの教会を表している。この事実はまた、その移行が、戦う教会から勝利の教会への移行であることを示している。その移行はミラノ勅令と一致しており、そこにおいて、十四万四千人の終末時代の運動が、その七つのうちのものである第八の教会となる。フィラデルフィアとスミルナはまた、自らをユダヤ人であると称しながら、実際にはサタンの会堂に属している者たちと闘っている唯一の二つの教会でもある。

313年のその道標は、1844年8月12日から17日までのエクセターのキャンプ集会とも一致している。そのキャンプ集会が終わると、そのメッセージは1844年10月22日に戸が閉じられるまで、合衆国東部の海岸地帯全域を、大津波のように席巻した。

「その運動は津波のように国土を席巻した。町から町へ、村から村へ、さらに辺鄙な田舎の地にまで及び、待ち望んでいた神の民が完全に奮い立たされるに至った。この宣言の前には、熱狂主義は、昇る太陽の前に朝霜が消えるように姿を消した。信じる者たちは、自らの疑いと当惑とが取り除かれるのを見、希望と勇気がその心を鼓舞した。その働きには、神の御言葉と御霊との統御する感化を欠いた人間的興奮があるときに常に現れる、あのような極端さがなかった。それは、そのしもべたちによる譴責の使命の後に古代イスラエルの間に見られた、へりくだりと主への立ち返りの時期と性格を同じくしていた。それは、あらゆる時代における神の働きを特徴づける特質を帯びていた。恍惚とした歓喜はほとんどなく、むしろ深い心の探り、罪の告白、そしてこの世を捨てることがあった。主に会う備えこそが、苦悶する魂の重荷であった。そこには、絶え間ない祈りと、神への全き献身とがあった。」『各時代の大争闘』400、401頁。

1844年10月22日に扉が閉じられたことは、まもなく到来する日曜法を予表しており、10月22日の閉ざされた扉に先立つ道標は、エクセターのキャンプ集会であった。したがって、エクセターのキャンプ集会はミラノ勅令と一致する。また、それはキリストの凱旋入城とも一致する。

「真夜中の叫びは、聖書による証明が明白で決定的であったとはいえ、主として論証によって伝えられたのではなかった。それには魂を動かす強いる力が伴っていた。そこには疑いもなく、問い返す余地もなかった。キリストがエルサレムに勝利の入城をされた際、祭りを守るために国の各地から集まっていた人々はオリーブ山に群がり、イエスを護送していた群衆に加わると、その時の霊感を受けて、『主の名によって来られる方に、祝福あれ!』[Matthew 21:9.]との叫びをいっそう高める助けとなった。同様に、再臨信徒の集会に群がった不信者たちも――ある者は好奇心から、ある者はただ嘲笑するために――『見よ、花婿が来る!』というこの使命に伴う確信を与える力を感じたのである。」『Spirit of Prophecy』第4巻、250。

ミラノ勅令は、紀元前587年のネブカドネツァルおよび66年のケスティウスによって予表された預言的包囲を画するものである。これら二つの包囲は、それぞれ紀元前586年および70年のエルサレム滅亡へと至った。ケスティウスの包囲はいったん終結し、その三年半後に、包囲はティトゥスのもとで再開された。こうして、アルファのローマの支配者に始まり、オメガの支配者に終わる預言的期間が示されたのである。その三年半は、教皇制によるエルサレムの蹂躙、ならびに、教皇制の致命傷がいやされ、彼女が再び三年半の象徴的年数のあいだ支配することになる、ほどなく到来する日曜日法を表している。

しかし、神殿の外にある庭はそのままにしておき、測ってはならない。それは異邦人に与えられているからである。彼らは四十二か月の間、聖なる都を踏みにじるであろう。黙示録 11:2

538年に、そしてさらに来るべき日曜休業令の時に、エルサレムの蹂躙が始まる。これら二つの日曜休業令は、コンスタンティヌス大帝が最初の日曜休業令を制定した321年によって表象されていた。538年には、ケスティウスからティトゥスに至る歴史によって表象されるとおり、教皇制は三年半のあいだ神の教会を迫害する(蹂躙する)権能を与えられた。538年に、教皇制は第3回オルレアン公会議において日曜休業令を制定した。やがて来る日曜休業令は、教皇制が再び神殿を蹂躙する(迫害する)権能を与えられる時を明示する。

313は、321年に最初の日曜法へと至った最初の勅令を特定している。次いで330年には、帝国は預言的に東西に分割され、こうして「四十二」象徴的な月にわたる教皇制の迫害の第二期間のオメガ的結末が画されたのである。それは、合衆国におけるアルファの日曜法に始まった、迫害と蹂躙の期間である。

また、第三の御使いが彼らに続いて、大声で言った。「だれでも、獣とその像を拝み、その額またはその手に刻印を受けるなら、その者もまた、神の御怒りのぶどう酒、すなわちその憤りの杯に混ぜものなしに注がれたものを飲むことになり、聖なる御使いたちの前、および小羊の前で、火と硫黄とをもって苦しめられる。そして、彼らの苦しみの煙は世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者、またその名の刻印を受ける者はだれでも、昼も夜も休みを得ない。ここに、聖徒たちの忍耐がある。ここに、神の戒めを守り、イエスの信仰を保つ者たちがいる。」黙示録 14:9–12。

平原

「ミラノ」のラテン語的意味は「平野の中央」である。東と西の मध्यにあって、西方のコンスタンティヌスは313年、東方のリキニウスとの同盟を求めた。その勅令は東西を一つに結び合わせようとする試みを表しており、コンスタンティヌスの異母妹コンスタンティアがリキニウスと結婚したとき、その勅令は条約結婚によって批准された。しかし、ダニエル書11章における、北のセレウコス朝と南のプトレマイオスとの最初の条約結婚と同様に、その結婚もまた失敗する運命にあった。というのも、「東は東、西は西、両者が相まみえることは決してない」という古い格言が成就したからである。

「330年」は、ダニエル11章24節、27節、29節において直接提示されている。これにより、313年から330年に至る17年間は、ダニエル11章の預言の線の中に取り込まれ、また預言的必然性によって、313年における東西のその条約結婚が、同章における最初の条約結婚と並行関係にあることを示している。

「ダニエル書第十一章の預言は、その完全な成就にほとんど達している。この預言の成就として起こった歴史の多くは、繰り返されるであろう。」『Manuscript Releases』第13巻、394頁。

紀元前261年から246年にわたって統治したアンティオコス二世テオスは、エジプトのプトレマイオス二世フィラデルフォスの娘ベレニケのために、最初の妻ラオディケ一世を退けた。この結婚は、紀元前252年に第二次シリア戦争を終結させた講和の一環であった。その後、コンスタンティヌスが324年にリキニウスを打ち破ったとき、この婚姻は終わりを迎えた。それは、最初の妻ラオディケが紀元前246年にアンティオコスを毒殺したとき、アンティオコスとベレニケの婚姻が終わったのと同様であった。第二次シリア戦争の終結を画したこの条約結婚と、アンティオコスの殺害、さらにその後のベレニケ、その子、およびエジプト人随員の殺害とは、第三次シリア戦争の開始を画した。313年の条約結婚は、スミルナの教会によって表される迫害の時代を終わらせ、ペルガモンの教会によって表される妥協の時代を開始した。

セレウコス朝史の初めにおける婚姻は、セレウコス帝国の終わりにおける条約婚、すなわちアンティオコス大王がその娘クレオパトラ一世をプトレマイオス五世エピファネスに与えた婚姻を予型していた。婚姻は紀元前193年にラフィアで執り行われたが、その同盟はまもなく終焉を迎えた。ちょうど北の王と南の王との間の最初の条約婚がそうであったようにである。セレウコス帝国におけるアルファとオメガの条約婚は、後にダニエル書十一章の預言史に記される条約婚、すなわち紀元前40年にオクタウィアヌスがその妹オクタウィア・ミノルをマルクス・アントニウスに与えた婚姻を予型している。マルクス・アントニウスとオクタウィアヌスは、ユリウス・カエサルが暗殺された紀元前44年に勃発した、ローマの東方地域と西方地域をめぐる権力闘争のただ中にあった。ブルンディシウム条約は紀元前40年のその婚姻において成立し、八年後の紀元前32年、マルクス・アントニウスは正式にオクタウィアと離縁し、そのことが紀元前31年のアクティウムの戦いを引き起こし、そこでマルクス・アントニウスとクレオパトラ(まさに最後のクレオパトラ)はともに終焉を迎えた。

セレウコス帝国のオメガの婚姻条約は、最後のクレオパトラを予表した最初のクレオパトラを導入したが、その血統は、紀元前40年におけるローマ帝国の預言的アルファの婚姻条約への連結を形成した。これら三つの条約婚は、ミラノ勅令の条約婚を予表している。ミラノ勅令は預言的包囲の始まりを画し、それは預言的しるしを表し、義なる教会から不義なる教会への移行を画するものであり、したがって七つのうちの第八の存在という謎と一致している。それは、戦争を終結させる条約婚を画するのであり、その条約婚の離婚に至るまでそうであって、その離婚が戦争の始まりを画するのである。二つのローマの婚姻においては、その離婚が帝国の統一を促進する。313年はまた、真夜中の叫びの使命の宣布が始まり、10月22日の閉ざされた戸へと導くエクセターのキャンプ集会をも画している。

これらの真理については、次の記事において引き続き考察する。